医師が使う日本語はおかしい?

e0156318_1346505.jpg コラムを書くのは当ブログの趣旨とは異なるのですが、別職種の友人から”医師が使う日本語がおかしい”と指摘されたので、個人的に感じるところを書いてみたいと思います。これから述べる日本語についての意見は、私自身も頻繁に使用することがある言い回しなので、決して否定的な意見を持っているわけではないことを先に述べておきます。
 私は4年以上にわたってブログという媒体で文章を書き続けていますが、それでも「医師独特の言い回しをしてしまった」と後から反省することがあります。雑誌の執筆でも、配慮しているのにもかかわらず編集社からしばしば訂正され、そのたびに自分の日本語能力の低さに辟易とします。これはおそらく医師の初期に受けた”医師文体”の教育のせいではないかと考えています。紹介状や学会発表、場合によってはpeer reviewがある日本語論文であっても医師は非常に独特な言い回しをすることがあります。それは医療に携わっていない方々から見ると、とても奇妙な日本語に見えるようです。

●にて

 例文:「胸痛にて来院。」

 「にて」は、格助詞「に」+接続助詞「て」から構成されています。この言葉は広辞苑にも載っている言葉なので決して誤った言葉ではありませんが、古文の授業でもない限り、日常でこのように古い言い回しを使うことはありません。
 「胸痛にて」という言葉は「胸痛によって(因って)」という言葉を短縮したものですが、現在は「胸痛で」と言うのが一般的だろうと思います。この「にて」という言葉は、驚くほど医療界で汎用されています。「によって(因って)」以外にも「当院にて(に於いて)」という用法もありますが、これも目にするとすれば古文の世界くらいではないでしょうか。(例:「成菩提院の御所にて御ぐしおろさせ給ふ」 『保元物語』)
 その昔学会はきわめて格式高い場でおこなうもので、現代の一例発表ばかりのものとは異なり、1つ1つの発表が医学界でとても重大な意味を持っていました(もちろん現在の一例発表も重要だとは思いますが)。その時に使われた「胸痛ニテ来院シ」と格式ばった言い回しがこの文体の普及した始まりではないかと考えられます。日本のサイエンスの世界は閉鎖的なので、学会や論文で使われた文体はそのまま次世代へと引き継がれていきました。


●体言止め

 例文:「胸痛にて来院。」

 「来院」の後がなく、体言止めで終わっています。文学小説で、ここぞという時に体言止めを使うことは良いと思いますが医師が使う言葉で体言止めは必要ないと思います。「胸痛で来院した。」でいいのではないでしょうか。


●認められる

 例文:「聴診にて湿性ラ音認め、胸部レントゲン写真上結節影が認められた。」

 日本の学会や論文で、臨床所見が観察される場合に「●●が認められる」という言葉を使うことがあります。一般的に「認められる」という言葉を使う場面というのは、「成人になったので飲酒が認められる」、「医師免許を取得したので、医療行為が認められる」といった際に使用する、”資格”や”許可”の意味合いが強いと思います。「胸部レントゲンで結節影が認められる」という言葉は、多くの医師はおそらく”認識・認知”の意味で使用していると考えられます。「そこに、人影を認めた。」という小説のような言い回しもありますが、あまり日常的に使う言葉ではありません。医師の場合、「認める」「認められる」という言葉は学会でも異常に使用する頻度が高く、明らかに誤った用法ではないものの不自然にすら見えます。「胸部レントゲン写真で結節影がみられた」でいいと思います。


●脱助詞

 例文:「胸腔ドレーン挿入後、症状改善認めた。」 

 俗に言う、「てにをは(弖爾乎波)」のことです。学会発表や医師の紹介状では、かなりの確率でこの脱助詞現象がみられます。驚くべきことに、提示した例文では「てにをは」が一つもありません。せめて「胸腔ドレーンを挿入した後、症状は改善した。」と「てにをは」を挿入したいですね。これほど「てにをは」が抜ける現象は避けたいものです。


●となる、となった

 例文:「症状改善認め、退院となった。」

 これも学会発表や論文でよく使用されている言い回しですが、「退院した」でいいと思います。動詞をわざわざ名詞化しなくてもいいのはないでしょうか。「お会計は1000円になります」でなく「お会計は1000円です」。「ハンバーグステーキになります」ではなく「ハンバーグステーキです」。


●御侍史

 例文:「○○病院 呼吸器内科 ××先生 御侍史」

 言い回しというより、これは隠語(ジャーゴン)化している言葉です。「侍史」とは「私のような身分の低い者が先生に直接お手紙を書くなど滅相もないので、先生の秘書(=待史)宛てに、言伝て申し上げます。」という意味の脇付(わきづけ)です。「御机下」なら「御」をつける必要があると教わったことがありますが(敬意を表する人の所有物である机下であるため)、「侍史」には本来「御」をつけません。「侍史」に「御」がついた理由は、もしかすると「御御御付け(おみおつけ)」と同じように、”マックス敬語”にしようと考えた医師がいるのかもしれませんね。「侍史」も「御机下」もとても古い言い回しで、医療従事者でなければ聞いたことすらない人が多いです。
 個人的には「先生」か「様」だけでいいのではないかと考えていますが、郷に入れば…ということで私もこの「侍史」という言葉は使い続けています(医師同士を先生と呼び合うこと自体も本来は不自然なのですが……)。
 


 もちろん、ゼク、ムンテラ、ステルベンといった隠語(ジャーゴン)は利便性がありますしあってしかるべき言葉かもしれません。しかし、文法や言い回しはできることなら閉鎖的になって欲しくはないものです。こういった文章の書き方が当たり前と思ってしまった研修医が、次の研修医へこれを引き継いでいくことで、”医師文体”の慣習が脈々と続いていくのでしょう。そのため、「36歳男性。胸痛にて来院。来院時胸部レントゲンにて左下肺野浸潤影認める」、「胸部レントゲンにて気胸認め、胸腔ドレーン挿入後、症状改善認めた」、というどこかの時代の軍隊の電報にも似た、不自然な日本語が当然のように学会で使用されています。これらが閉鎖された世界で独立した言語体系に発展していくのではないかと一抹の不安を感じます。
 しかし、言語は時代によって移り変わりゆくものです。半世紀後には「全然」という副詞も「全然、大丈夫」という用法が正しいものとして教育現場に普及するかもしれません。ただそれでも、この”医師文体”が少なくとも世間とかけ離れた言い回しのままであるという事態は避けたいものです。


by otowelt | 2013-01-24 00:15 | その他

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