PM2.5の問題は本当に緊急事態なのか?

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 患者さんからPM2.5の質問ばかり受けるので、思うところを書いてみました。個人的な意見も入っていますので、あくまで一意見としてご笑覧いただければ幸いです。


●はじめに
 PM2.5は重要な大気汚染物質であり、呼吸器疾患のリスクであることは知られています。環境省は2013年2月8日、大気汚染物質のPM2.5について緊急行動計画をまとめました。地方自治体もPM2.5の濃度測定をホームページ上で公開しています。

 しかし、中国の環境汚染は何年も前から知られていることです。そして、近隣諸外国に大気汚染の影響をもたらしていることも周知の事実です。大気汚染の実態を把握していたのにもかかわらず、今頃になってなぜ大騒ぎすることになったのでしょうか。そして、PM2.5の問題は今すぐにでもN95マスクを装着して緊急的に対処しなければいけないことなのでしょうか。


●PM2.5とは
 微小粒子状物質(SPM:Suspended Particulate Matter)のうち、粒径2.5μm以下の小さなものを微小粒子状物質(PM2.5)と呼んでいます。気道の奥まで入りやすいため、気管支喘息や肺癌などへの影響が大きいと考えられています。確かにN95マスクであれば吸入を防ぐことができます。N95マスクをつけたことがある医療従事者はわかると思いますが、これを持続的に装着することは現実的に困難です。理由として、費用的な面と装着したまま日常生活がしにくい点が挙げられます。

 SPMの日本の環境基準は平成21年9月9日に告示されています。1年平均値が15μg/m3以下であり、かつ1日平均値が35μg/m3以下であることとされています。これはあくまで環境基準であり、これを上回った途端リスクが上昇するというわけではありません。過去にも何度も”基準値超え”は計測されていますので、今さら”基準値超え”をニュースにする意味は無いでしょう。アメリカの一部やメキシコでは、1日平均値の基準は65μg/m3です。国によっても基準にばらつきがあります。

 今後、持続的に高いPM2.5の濃度が観察される場合は政府として緊急的に対策を講じるべきだろうと思います。ただ欧米に比べると大気汚染に関する対策は遅れており、日本は一概に中国を非難できるものではありません。


●PM2.5を吸入するリスクとは
 PM2.5によって肺癌のリスクが上昇することは過去に報告されていますが、10年単位で検知が可能な程度です(Am J Respir Crit Care Med. 2011 Dec 15;184(12):1374-81.)。そのハザード比も、年齢・性別・人種といった最小限の補正であれは有意差のある数値ですが、可能な補正をすべて行うと統計学的な有意差はほとんど消失します。肺癌の死亡リスクを減らすために10年単位で国が濃度上昇に気を配る必要性はあるものの、1日1日の濃度に厳格に配慮すべきだという結論にはなりません。
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 PM2.5は、動脈硬化にも関連していることが知られています(Am J Epidemiol. 2008 Mar 15;167(6):667-75.、J Am Coll Cardiol. 2010 Nov 23;56(22):1803-8)。例えば、前者のMESA試験もPM2.5への長期曝露の疫学的研究であり、短期的に曝露することの健康被害を述べたものではありません。

 多くのマスメディアが参考にしているPM2.5のリスクに関連する医学論文は、PM2.5がこのまま増加し続ければ、長期的対策を講じる必要性がある警鐘を鳴らした疫学的研究がほとんどであり、それは早急にN95マスクを装着しなければ呼吸器系疾患のリスクが上昇するというものではありません。上記にも述べたように、中国の大気汚染は今に始まったことではなく、日本のPM2.5濃度も環境問題としては以前から注目されていたものです。

 N95マスクで売り上げをのばしたい会社は、小児に対する健康被害を前面に押し出します。たしかに、小児喘息患者では発作のリスクがSPMによって上昇することが知られています(Am J Emerg Med. 2009 Feb;27(2):153-9. 、Environ Health Prev Med. 2010 Nov;15(6):350-7.)。しかしながら短期的なPM2.5の作用についてはいくつか報告はあるものの大規模データでの確実性に乏しく、確実にリスクと考えられる受動喫煙を避けた方がまだ理にかなっています(Pediatrics. 2012 Apr;129(4):735-44.)。

 たとえば、コーヒーが肺癌のリスクを上昇させるというメタアナリシスがあります(Lung Cancer. 2010 Jan;67(1):17-22.)。1日2杯のコーヒーを飲む慣習によって、肺癌発症のリスクが14%増加するとされています(リスク比1.14, 95%信頼区間1.04-1.26)。おそらくこれを大々的に報道すれば、コーヒーの消費量は激減することでしょう。これが取り沙汰されない理由は、あくまでコーヒーの長期的作用による発癌リスクだからです。
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 ディーゼルエンジンや自動車の排気ガス、工場の肺炎が肺癌のリスクを上昇させるという報告もあります。それでも自動車の廃止や工場の排煙禁止がまかり通らないのは、無くしてしまうと経済や文化が回らないからです。


●何のリスクを避けるのか
 世の中には、たくさんの有害な物質が存在します。喫煙、排気ガス、光化学オキシダント、有機物、油、塩分・・・。全リスクをゼロにして完全健康体でい続けることは不可能です。身体に悪いとわかっているものを全てこの世からなくしてしまえば、健康被害はなくなります。しかし、それではもはや文化を維持できません。そのため、リスクの高い環境因子を法規制や外交によって優先的に排除していくのが政府の役割であり、その内容こそが国民が理解すべき内容だと思います。”自分がどういう理由で何のリスクを回避したいのか”を明確にしていなければ、マスメディアの情報に踊らされて他国に対する不信感が募るだけになってしまいます。

 現時点では、少なくとも肺癌の一次予防としては喫煙対策が最も重要であることは明白です。また、健康被害に対する有害度合を順位付けしたとき、そのどこかにPM2.5という物質はランキングされるのでしょう。しかし、PM2.5という流行の物質をマスメディアが漫然と「緊急事態だ」「N95マスクを買わないと危険だ」と流布する行為は、決して倫理的に許されるものではないと考えています。

 PM2.5が安全だというわけではありません。大気汚染の問題で指摘されている二酸化硫黄、二酸化窒素、オゾン、PM2.5、PM10などは何年も前から危険だとわかっているもので、世界的に早急な対策を講じなければならないことは既知の事実です。


by otowelt | 2013-02-13 00:06 | 呼吸器その他

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