ショパンの死因は結核ではなかったかもしれない

ショパンの死因は結核ではなかったかもしれない_e0156318_2315189.jpg・はじめに
 フレデリック・ショパン(Frédéric Chopin)(1810年~1849年)はロマン派の代表的な作曲家であり、ご存知のように数多くのピアノ曲を残しています。誰もが耳にしたことがあるメロディアスな曲をいくつも書いていますが、後期の円熟した作風を聴けば聴くほど、39歳という若さで死去したことが惜しまれてなりません。

 個人的にはバラード、スケルツォ、ポロネーズあたりの後期の作品が好きで、20代の頃はこういった曲を頑張って弾いていました。また彼はピアノ協奏曲も残しており、ショパンコンクールでは必ず演奏される曲目として知られています。私としては、ショパンの素晴らしさは後期のピアノ独奏作品にこそあると思っているので、彼のオーケストレーションをあまり高く評価していません。

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ポロネーズ6番(op. 53)

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バラード4番(op. 52) コーダ


・ショパンの死因は結核なのか
 ショパンは公式(誰が決めた公式かは分かりませんが)には、結核で死亡したとする説が一般的です。しかしながら、確かに当時結核は流行していたものの、短絡的な結核という診断はおかしいという意見が多くみられるようになりました。

 ショパンを診察した医師の記録によれば、彼は階段の昇り降りだけで強い呼吸困難感を訴えており、現代では在宅酸素療法が必要なくらい慢性呼吸不全がひどかったことが推察されます。これは、急性期の肺結核の典型的な症状とは性質を異にするものです。もちろん現代でも重症の若い肺結核患者さんで同じような重度の呼吸不全を呈する例はまれにあります。
Hazard J. The adventures of doctor Jean Matuszinski, friend of Frédéric Chopin, from Warsaw in 1808 to Paris in 1842. Hist Sci Med. 2005 Apr-June;39(2):161-8.
 
 しかしさらに結核にそぐわない経過として、ショパンは20年にわたる血痰症状があったことがわかっています。うーん、これはいくらなんでも肺結核の症状としては長すぎます(無治療だとこんな感じになるものでしょうか?)。結核の長期罹患あるいは結核後遺症でこういった症状を呈していた可能性は否定できませんが、結核の自然経過だと考えるより他の慢性疾患と考えた方が妥当ではないかとする研究グループが増えてきました。


・その他の説:嚢胞性線維症、α1アンチトリプシン欠損症、非結核性抗酸菌症
 いくつかの報告では、ショパンは嚢胞性線維症やα1アンチトリプシン欠損症だったのではないかとする説もあります。これは幼少期にショパンが呼吸器疾患を発症していること、また遺伝性の疾患と考えられる理由として、ショパンの父親や姉のLudwikaが呼吸器感染症を反復するエピソードを有していたという2点からです。消化器症状や呼吸器感染症を繰り返していたことも、嚢胞性線維症の症状と合致します。また、ショパンには男性不妊が疑われており、これも嚢胞性線維症の症状の1つです。
Majka L, et al. Cystic fibrosis--a probable cause of Frédéric Chopin's suffering and death. J Appl Genet. 2003;44(1):77-84.

 α1アンチトリプシン欠損症は、彼の消化器系の症状が強いこと、ショパンの妹Emilliaが肝硬変に続発した静脈瘤の破裂で死亡していることから鑑別診断に挙がっていますが、嚢胞性線維症でも肝硬変にいたることはあるため、積極的にα1アンチトリプシン欠損症と結論付けるのは少し突飛でしょうか。
Kuzemko JA. Chopin's illnesses. J R Soc Med. 1994 Dec;87(12):769-72.

 嚢胞性線維症に異論を唱える研究グループは、ショパンが活躍した19世紀のヨーロッパで嚢胞性線維症を抱えながら39歳まで生き延びることはまず不可能であると述べています(現在でも寿命は大半が30代です)。しかし、この疾患は非常に個人差が大きいものであり、この年齢まで生きることが不可能という理由が当時の医療事情だけでは説得力に欠けるものです。


・おわりに
 なぜこれほどショパンの死因の説が分かれているのかというと、ショパンの主治医があまりにも多いためです。当時では珍しくショパンはドクターショッピングを繰り返した作曲家で、その主治医の数は30人とも50人とも言われています。

 ショパンを病理解剖したCruveilhier医師の剖検記録は、第二次世界大戦のパリ戦火によって失われてしまいました。診断書に書かれている「肺結核」「喉頭結核」という言葉のみが、唯一残された病名なのです。そのため、ショパンを苦しめた病気の正体は、いまだに解明されていません。彼のデスマスクが残されていますが、その顔つきから診断をすることは不可能です。
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ショパンのデスマスク(Wikipediaより引用)

 解明の糸口は、DNAを調べることです。ショパンの心臓は、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬されています。彼の意向によって、1849年に姉によってポーランドに持ち帰られたものです。ある研究グループがこの調査を申請したと聞いたことがありますが、その後の経過については知りません。まあ、ニュースになっていないところを見ると、まだ調べられていないのでしょう。

 個人的には、ショパンには結核や非結核性抗酸菌症などの呼吸器感染症はあったと思います。それが慢性化の経過だったのか、晩年致命的に陥った急性~亜急性のものかはわかりません。ただ、持続的に血痰をきたしていたのはおそらく呼吸器感染症ではないかと思います。問題は、そこに基礎疾患があったかどうかです。特発性の気管支拡張症があったのか、嚢胞性線維症やα1アンチトリプシン欠損症といったまれな疾患があったかどうか。いずれにしても彼のDNAを調べることができなければ、真実は未来永劫闇の中です。
 
 ―――真実は神様にしかわかりませんが、私は別にそれでよいと思っています。ショパンの死因がわかっても、彼はもうこの世にいないのですし、残した名曲が色褪せることはないのですから。


<偉人たち>
Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave
Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast
Clara細胞の発見者:Max Clara
サコマノ法の考案者:Geno Saccomanno
Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson
Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover
Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram

Biot呼吸の提唱者:Camille Biot

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by otowelt | 2013-09-06 00:03 | コラム:医学と偉人

近畿中央呼吸器センター 呼吸器内科の 倉原優 と申します。医療従事者の皆様が、患者さんに幸せを還元できるようなブログでありたいと思います。原稿・執筆依頼はメールでお願いします。連絡先:krawelts@yahoo.co.jp


by 倉原優
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