下顎呼吸 ~最期の呼吸~

e0156318_1061385.jpg・はじめに
 「下顎呼吸(かがくこきゅう)」という呼吸があります。英語ではmandibular breathingやopen-mouth breathingと言います。後者は、閉塞性睡眠時無呼吸の際に口を開けて眠る患者さんに対して使用することもあります。また、ACLSやICLSに慣れた人は死戦期呼吸(agonal gasp、agonal respiration)という言葉を好んで使うかもしれません。

 死の間際に置かれた患者さんは、血圧が低下した後、胸郭を使った呼吸が下顎を使った呼吸に変わり、呼吸回数が極端に減少します。その後、心拍数が低下し始めます。そして呼吸が停止した後、わずかに残っていた心電図波形も平坦化し、心停止に陥ります。私たち医師の多くは、心電図波形が確実に平坦になった後に死亡確認を行います。

 経験上、下顎呼吸が始まると多くが1~2時間で亡くなることが多いため、下顎呼吸が出現する前の極端な血圧低下があった時点で家族を呼ぶことが多いようです。個人的な経験上、普段から看護にあたっている看護師さんの方が、私たち医師よりも「死」を意識する能力に長けているように思います。


・5日間下顎呼吸が続いた患者さん
 ある寒い冬の朝のことでした。4年ほど私が診ていた終末期の患者さんの血圧がいよいよ下がり始めました。眼窩はくぼみ、教科書的なヒポクラテス顔貌。待合室にいた家族に「血圧が低くて、もはや測定することができません。この後、呼吸回数がゆっくり減ってくると思います。」と説明したところ、「今晩がヤマということでしょうか?」とお決まりのような質問が飛んできました。

 この“ヤマ”という言葉。おそらく、医学的には何の定義もない言葉なのです。本来「今夜が峠です」というのが正しい使い方のようですが、峠を越せる可能性があるときに使うならまだしも、終末期で今から亡くなろうとしている患者さんにはこの言葉を使う意味はさほどありません。

 「あと3時間以内です。」などと具体的に時間を提示することはおそらく不可能ですので、個人的には「私の経験から言うと、おそらく今日明日中だと思います。」と少し幅を持たせて家族にお伝えすることが多いです。ただ、それでもその予測が外れてしまうことがあります。

 ―――その患者さんは、5日間も下顎呼吸が続きました。明らかに血圧が低下して、意識が無い状態であるにもかかわらず、「あぐ、あぐ」とした下顎呼吸だけで5日間も頑張られました。


・全例に下顎呼吸が出現するわけではない
 私は呼吸器内科医ですから、下顎呼吸を目にするケースはほとんどが肺癌や間質性肺炎などの慢性疾患の終末期の患者さんです。その最期の時に全例に下顎呼吸が出現するわけではありませんが、急性のものも含めると、心肺停止の40%~55%程度にこの呼吸が出現するのではないかと言われています。ただ、個人的な印象ではもう少し頻度は多いように感じています。
・Clark JJ, et al. Incidence of agonal respirations in sudden cardiac arrest. Ann Emerg Med. 1992 Dec;21(12):1464-7.
・Eisenberg MS. Incidence and significance of gasping or agonal respirations in cardiac arrest patients. Curr Opin Crit Care. 2006 Jun;12(3):204-6.



・呼吸器内科医からみた下顎呼吸
 実は終末期にある患者さんの呼吸状態について調べたみたもののどうやら呼吸生理学的にはあまりよく分かっていないようです。

 呼吸のときに下顎は動くのですが、胸郭はほとんど動いていないため、客観的にはほとんど一回換気量が確保できていないと考えられています。しかし動物実験では、一回換気量は意外にもしっかりと確保できているという報告もあります。ただ、有効な「呼吸」が行われているのかどうかはいまだに定かではありませんし、ヒトを対象にした臨床試験の踏み込めない領域でもあります。

 死亡直前期にはあぐ、あぐとした下顎呼吸は、回数が極端に低下します。そして呼吸停止がやってくると、その後に大きなため息を一息ついて、絶命されます。中には、大きく息を吸い込んだまま亡くなられる方もいます。最期にため息のような大きな呼吸をする患者さんとそうでない患者さんがいますが、その差が何を意味しているのか私には皆目見当もつきません。気道を支えていたすべての筋が弛緩するため、ため息をついているように見えるのでしょうか。


・さいごに
 私が癌・非癌を問わず、これまで最期を看取った患者さんは100人余りしかおらず、緩和ケア医や腫瘍内科医よりは遥かに経験が少ないです。医学的な部分だけでなく、スピリチュアルな部分も含めて私はまだまだ未熟です。そのうち私も齢を重ねれば、何か新しく感ずるところが出てくるのかもしれません。

 死亡確認のときに、亡くなった患者さんに声かけをすると涙をこらえるのが大変なので、私はいつも、病室に誰もいない時間を狙って患者さんと「最期の主治医との会話」をするように心がけています。泣き虫の医師なりに工夫が必要なのです。



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by otowelt | 2013-12-21 09:07 | その他

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