カテゴリ:コラム:医学と偉人( 19 )

Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen

e0156318_2041968.jpg Friedrich Carl Adolf Neelsenはユーテルゼン牧師館の助祭の息子として1854年3月に生まれました。Neelsenはライプツィヒ大学で医学を学び、22歳で医師の資格を得ました。その後、ライプツィヒ大学病理学講座でErnest Wagnerに師事し、病理学の研鑽を積みました。1878年にライプツィヒ大学からロストック大学へ場所を移し、1884年に30歳の若さでロストック大学の病理学講座の准教授となりました。

 1883年に結核菌の論文の中で、自身がかねてから個人的に使用していた染色法について記載しています。これが21世紀にまでZiehl-Neelsen染色として名を残すことになるとは、彼も思いもしなかったことでしょう。
 
 Neelsenはもともと細菌学にそこまで精通していたわけではなく、どちらかといえば解剖学に長けていたそうです。年間700以上の解剖をおこなった時期もありました。

 晩年(といってもまだ30代でしたが)は当時病理の世界では有名だったドレスデン工科大学で医学チーフとして働きました。

 1894年、妻と3歳の息子を残して40歳という若さでその生涯をドレスデンで終えたとされています。奇しくもその原因は、結核であったと言われています。1898年の44歳が没年であるという報告もありますが、インターネット上でも記載が分かれており、正確な没年の明記は避けます。

 なお、教科書に「ニールセン」と書いてあることもあるのですが、Neelsenの発音は「ニールセン」ではなく、「ネルゼン」あるいは「ネールゼン」が正しい発音です。


<音楽と医学>
モーツァルトの死因は毒殺だったのか?
ラフマニノフはMarfan症候群ではなかったのかもしれない
ショパンの死因は結核ではなかったかもしれない
ベートーヴェンの難聴と肝硬変の原因はワインの飲みすぎによる鉛中毒
ブラームスは外科医ビルロートの親友だった

<偉人たち>
Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave
Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast
Clara細胞の発見者:Max Clara
サコマノ法の考案者:Geno Saccomanno
Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson
Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover
Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram




by otowelt | 2013-05-08 00:24 | コラム:医学と偉人

Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl

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 Franz Ziehlは1857年4月にドイツのヴィスマールに市役所職員の息子として生まれました。彼はハイデルベルグ大学で医学を学び、24歳(1881年)のときに同大学を卒業しました。医師免許を取得したあと、彼は1887年までクリニックの内科で研鑽を積みました。その後、彼の父親が逝去したため、経済的理由からリューベックへ移り住んだと言われています。彼は神経内科学に精通しており、リューベックの地でも神経内科医として働いていたそうです。その一方で細菌学にも非常に明るかったそうです。

 1882年3月24日に当時有名な細菌学者であったRobert Kochによって結核菌が発見され、世界中の学者の間で話題になりました。Ziehlをはじめ、Ehrlich、Neelsenなどの多くの研究者にとって染色法の確立が目下の課題であり、互いに競い合うように、また互いに協力し合って染色法の確立を研究しました。

 Ziehlは最も早く結核菌に対する石炭酸フクシン染色の方法を提示しました。入手が難しいアニリンに変わって、石炭酸フクシンを用いる方法は画期的でした。
Ziehl, F.: Zur Färbung des Tuberkelbacillus. Dt. Med. Wschr. 1882; 8: 451.

 このZiehlの染色は、翌年Friedrich Neelsenによって硫酸による脱色過程とメチレンブルーによる対比染色を追加改良されました。

 その後、アメリカで「Ziehl-Neelsen染色」として紹介されたため、この名前が世界中に知られるようになりました。抗酸菌が石炭酸フクシンによりって赤く染まり、 背景をメチレンブルーで対染色を行なうことによって、コントラストがしっかりとした染色法は一躍有名になりました。しかしながら、これらの染色の成功は、Koch、Ehrlich、Rindfleisch、Ziehl、Neelsenの誰が欠けてもなしえなかった偉業であることから、染色名をZiehlとNeelsenのみに限定するのはおかしいのではないかという意見もあります。Koch-Ehrlich-Rindfleisch-Ziehl-Neelsen染色にすべきだという見解もあります。

 1926年4月、Ziehlはリューベックの地で逝去しました。彼の偉業は、現在も抗酸菌染色にその名を残しています。


<音楽と医学>
モーツァルトの死因は毒殺だったのか?
ラフマニノフはMarfan症候群ではなかったのかもしれない
ショパンの死因は結核ではなかったかもしれない
ベートーヴェンの難聴と肝硬変の原因はワインの飲みすぎによる鉛中毒
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<偉人たち>
Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave
Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast
Clara細胞の発見者:Max Clara
サコマノ法の考案者:Geno Saccomanno
Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson
Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover
Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram




by otowelt | 2013-05-02 07:16 | コラム:医学と偉人

Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave

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 嘔吐に起因する食道破裂をBoerhaave症候群と呼びます。日本語の読み方は、江戸時代から「ブールハーフェ」と発音していますが、欧米では英語で「ベアーハーヴ」と発音します。
 日本の教科書では、Boerhaave症候群は食道壁全層を障害することによる縦隔気腫が起こるとされており、一方Mallory‐Weiss症候群は粘膜下層のみの障害という概念がよく知られています。オランダ人にとっては誰もが知っている有名な偉人ですが、日本人にとってはBoerhaave症候群くらいでしか彼の名前を耳にすることはないでしょう。日本では、国家試験勉強中の医学生や消化器科医・呼吸器科医・救急医くらいにしか馴染みのない名前かもしれませんね。

 彼が報告したBoerhaave症候群は、Baron Jan Gerrit van Wassenaer Heer van Rosenbergという名前のオランダ人提督に起こりました。彼は暴飲暴食のあとに嘔吐し、食道破裂を起こしました。Boerhaaveはこれを最初の例として報告しています。そのため、Boerhaave-van Wassenaer症候群と呼ばれることもあります。
Boerhaave H. Atrocis, nec descripti prius, morbii historia: secundum medicae artis leges conscripta. Leiden, the Netherlands: Lugduni Batavorum Boutesteniana, 1724

 Herman Boerhaaveは17-18世紀に活躍したオランダの内科医であり、オランダの医学教育や教育病院のいしずえとなった偉人として扱われています。そのため、オランダでは1970年まで20ギルダー紙幣に彼の顔が使われていました。Boerhaaveは1668年にオランダのフォールハウトで牧師の息子として誕生しました。大学では哲学と神学を専攻したものの、医学だけでなく植物学、物理学にも精通していたといいます。
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 25歳のときに医学博士号を取得し、化学や植物学の多方面の功績が認められ、41歳でライデン大学の医学と植物学両方の教授に任命されました。医学教育における彼の影響は絶大であり、ライデン大学=Boerhaaveという図式が当たり前になるほど彼の名は世界中に広まりました。そのため、江戸時代であった日本でもBoerhaaveという名前はよく知られており、当時の医学書にも「歇爾満・蒲爾花歇(ヘルマン・ブールハーヘ)」という名前が記載されています。42歳に商人の娘であったMaria Drolenvauxと結婚し、4人の子供をもうけました。ちなみに、裕福な生活がたたったのか、その頃彼は痛風に苦しんでいたといいます。その後46歳でライデン大学の学長となりました。

 晩年まで医学教育に尽力し、61歳に故郷ライデンで逝去しました。現在、オランダのライデンにはBoerhaave museumという彼の名を冠した医学博物館があります。


<偉人たち>
Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave
Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast
Clara細胞の発見者:Max Clara
サコマノ法の考案者:Geno Saccomanno
Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson
Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover
Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram


<音楽と医学>
モーツァルトの死因は毒殺だったのか?
ラフマニノフはMarfan症候群ではなかったのかもしれない
ショパンの死因は結核ではなかったかもしれない
ベートーヴェンの難聴と肝硬変の原因はワインの飲みすぎによる鉛中毒
ブラームスは外科医ビルロートの親友だった

<偉人たち>
Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave
Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast
Clara細胞の発見者:Max Clara
サコマノ法の考案者:Geno Saccomanno
Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson
Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover
Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram

by otowelt | 2013-03-03 00:01 | コラム:医学と偉人

Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson

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 誤嚥性肺炎は呼吸器科医が出会うことが多い肺炎の1つです。そのうち、胃内容物の誤嚥によって起こる重篤な誤嚥性肺炎をMendelson症候群と呼ぶことは呼吸器科医であればご存知でしょう。この症候群は、もともとはアメリカの産婦人科医であるCurtis Lester Mendelsonが全身麻酔による無痛分娩後に生じた重篤な誤嚥性肺炎を報告したことに由来します。そのため、狭義のMendelson症候群は産婦人科領域のものを指します。
Mendelson C.L. The aspiration of stomach contents into the lungs during obstetric anesthesia. Am J Obstet Gynecol 1946;52:191-205.

 1930年代の後半には妊婦における誤嚥性肺炎が致死的になることが認識されており、すでに1937年の文献にその記載があります。また、Mendelsonよりも前に1940年にHallによる妊婦の誤嚥性肺炎による死亡例が15例報告されており、Mendelson症候群という名称は変えるべきではないかという意見もあります。
・Apfelbach CW, et al. Alterations in the respiratory tractfrom aspirated vomitus. JAMA. 1937;108:503.
・Hall CC. Aspiration pneumonitis. JAMA. 1940;114:728-33.
・Ravalia A. Should Mendelson's syndrome be renamed? Anaesthesia. 2000 Oct;55(10):1040.


 Mendelsonは、1913年9月4日にニューヨークで生まれました。彼は、イサカ市のコーネル大学で医学を学び1938年に医学部を卒業しました。彼はその後コーネル大学と提携していたニューヨーク病院で臨床教育を受け、すぐに彼の将来の専門分野となる産婦人科に没頭しました。彼は1959年まで21年間ニューヨーク病院で働きました。1932年から1945年の間にニューヨーク病院の産科手術後に起こった重篤な誤嚥性肺炎66例を報告しました。40000例以上の患者さんから66例を抽出しており、当時非常にセンセーショナルな報告になりました。そしてこの症候群は、のちにMendelson症候群と呼ばれるようになりました。
Mendelson C.L. The aspiration of stomach contents into the lungs during obstetric anesthesia. Am J Obstet Gynecol 1946;52:191-205.

 1941年にMendelsonは栄養士のMarie Krauseと結婚しました。1959年に、パイロットの免許を取得したMendelsonは、夫婦そろって西インド諸島を旅しました。Mendelsonは非常にこれらの島々を気に入り、バハマのグリーンタートルケイで医師として働くことになりました。妻もそれに賛同し、今までの生活とは一変した離島診療に携わることになりました。
 Mendelsonは1960年に『妊娠と心臓疾患』を出版し、同じ年に妻も『栄養と健康』を出版しました。面白いことに、同時期に出版された妻の本の方の売れ行きがよく、Mendelsonの本は初版で終わった一方で妻の本は少なくとも9版出版されたといいます。これは文才の差なのでしょうか。
 1961年にニューヨーク病院の産婦人科教授のポストをMendelsonは辞退し、彼は1990年までの間、島の診療を続けました。晩年はフロリダ州ウェストパームビーチに引っ越したそうです。没年は不明です。



<音楽と医学>
モーツァルトの死因は毒殺だったのか?
ラフマニノフはMarfan症候群ではなかったのかもしれない
ショパンの死因は結核ではなかったかもしれない
ベートーヴェンの難聴と肝硬変の原因はワインの飲みすぎによる鉛中毒
ブラームスは外科医ビルロートの親友だった

<偉人たち>
Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave
Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast
Clara細胞の発見者:Max Clara
サコマノ法の考案者:Geno Saccomanno
Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson
Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover
Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram

by otowelt | 2012-12-14 21:31 | コラム:医学と偉人

Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover

 Hoover徴候は、呼吸器科医にとってCOPDの身体所見で最も有名なものの1つです。
Hoover CF. The diagnostic significance of inspiratory movements of the rib costal margins. Am J Med Sci 1920; 159:633-646.

 吸気時に肋間が陥凹し、呼気時にそれが解除されるという徴候です。COPDだけでなく、閉塞性肺疾患全般に起こりうる徴候です。
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Johnston CR 3rd, et al. The Hoover's Sign of Pulmonary Disease: Molecular Basis and Clinical Relevance. Clin Mol Allergy. 2008 Sep 5;6:8. より引用

 実は神経内科領域にも別のHoover徴候があります。器質性片麻痺の検出法の一つで、足を上げようとするときに逆側の踵に力が入るか入らないかで本当の片麻痺かどうか判別する方法です。ものすごく単純は発想なのですが、ひらめきがすごいなぁと思います。
Hoover CF. A new sign for the detection of malingering and functional paresis of the lower extremities. Journal of the American Medical Association 1908;5:746–7.

 この2つのHoover徴候、いずれもCharles Franklin Hooverによって報告されたものです。なぜ同じ名前がついてしまったのか定かではありません。

 Charles Franklin Hooverは、オハイオ州マイアミズバーグに1865年に生まれました。彼はハーバード大学で医学を学ぶ前は、キリスト教メソジスト牧師だったと言われています。1892年ハーバード大学を卒業し、1894年までの2年間、ドイツで数々の高名な医師に師事をしました。1894年に再びアメリカに戻った彼は、オハイオ州のクリーブランド市立病院などで内科医・医学講師として働きました。その後、ケース・ウェスタン・リザーブ大学の教授となりました。1908年と1920年に呼吸器内科、神経内科領域の別々の分野で身体所見を発表しました。それらの身体所見は、今ではいずれもHoover徴候として名を残しています。

 呼吸器内科領域におけるHoover徴候は、García Pachónらによれば、82人のCOPD患者で検証したところ感度76%という結果でした。
García Pachón E, et al. Paradoxical costal shift throughout inspiration (Hoover's sign) in patients admitted because of dyspnea. Rev Clin Esp. 2005 Mar;205(3):113-5.

 172人のCOPD患者さんの身体所見を調べた報告では、気道閉塞性疾患(一秒率70%未満)の診断に対してHoover徴候は呼吸器科医で感度58%・特異度86%・陽性尤度比4.16・陰性尤度比0.49という報告があります。でした。レジデントとの観察者間の一致ではκ値0.74と比較的高い所見でした。ちなみにレジデントの場合、感度55%・特異度76%・陽性尤度比5.37・陰性尤度比0.50でした。
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García Pachón E. Paradoxical movement of the lateral rib margin (Hoover sign) for detecting obstructive airway disease. Chest. 2002 Aug;122(2):651-5.より引用

 また157人のCOPD患者で検証したところ、重度のCOPDであればあるほどHoover徴候がみられやすいという結果でした。ただ、多変量解析では痩せそのものも独立因子として挙がってますので、るいそうによる偽陽性は十分ありうる身体所見であることを知っておく必要があります。
García Pachón E, et al. Frequency of Hoover's sign in stable patients with chronic obstructive pulmonary disease. Int J Clin Pract. 2006 May;60(5):514-7.

 驚くことに今ご紹介した論文3つが同じ著者のものでした。とてもHoover徴候に造詣が深い方なのだとお見受け致します。


<音楽と医学>
モーツァルトの死因は毒殺だったのか?
ラフマニノフはMarfan症候群ではなかったのかもしれない
ショパンの死因は結核ではなかったかもしれない
ベートーヴェンの難聴と肝硬変の原因はワインの飲みすぎによる鉛中毒
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<偉人たち>
Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave
Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast
Clara細胞の発見者:Max Clara
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Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson
Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover
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by otowelt | 2012-11-28 06:13 | コラム:医学と偉人

Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast

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 Henry Khunrath Pancoastは1875年2月26日にフィラデルフィアで生まれました。父親が内科医師をしており、幼い頃から医師に対して憧れのようなものを感じていたといいます。1982年にFriends Central 高校を卒業しました。しかし同時期に両親を両方とも亡くし、銀行窓口業務を2年間行い大学資金を作ることになりました。そして、やや周りから遅れて1894年にペンシルヴァニア州立大学医学部に入学しました。1898年に同大学を優秀な成績で卒業しています。

 彼はペンシルヴァニア州立大学病院に勤務し、外科講座で1900年から主に外科手術について学び始めました。しかしながら、院内ではほぼ麻酔科医としての勤務で外勤もかなり限られた診療ばかりをしていたといいます。そんな矢先、1902年に病院にいたレントゲン医師であるLeonardが退職しました。当時外科部門の中に放射線科が存在していたため、誰かがこの業務を引き継ぐ必要がありました。外科部長の命により、結果的にPancoastはこの任に就くことになります。しかしそれは同時に彼にとっては何かを変えるチャンスでもありました。

 彼の活躍により放射線科は一躍有名となりました。当時、放射線科というのは診療科単一として認識されているものではなく、あくまで診断に必要な検査としての付加的な位置付けだったのです。「この病院は当科がないと成り立ちません、他の診療科と同じように必須の診療科です」と彼はのちに述べています。彼は、放射線科の診療科としての確立に奮闘しました。1903年には患者数も伸び、1904年にようやくペンシルヴァニア州立大学で診療科として独立することができました。劣悪であった職場環境が一気に改善することになりました。彼は、主に放射線治療分野での研究を重ね、1911年にペンシルヴァニア州立大学放射線科教授になりました。こうしてPancoastは、アメリカ合衆国で最初の放射線科教授として名を馳せたのです。

 1932年に肺尖部の肺癌を報告しました。これが今にPancoast腫瘍として名を残す論文です。そして、7年後の1939年5月20日にペンシルヴァニア州メリオンにて逝去しました。
Pancoast HK. Superior pulmonary sulcus tumour: tumour characterized by pain, Horner’s syndrome, destruction of bone and atrophy of hand muscles. JAMA 1932;99:1391-6.

 Pancoast腫瘍は、肺尖部に発生して胸壁へ浸潤する腫瘍を総称するものですが、広義解釈として、Pancoast症候群は、腫瘍によって尺骨神経支配の上肢の疼痛や同側のHorner症候群をきたすものと理解されています。
 Detterbeckらにより、厳密なPancoast腫瘍の定義がなされています。「Pancoast腫瘍は肺尖部に発生した肺癌で、肺尖胸壁の構造に浸潤するものである。胸壁に浸潤するのは第二肋骨レベルでありそれ以下のものは肺尖部の浸潤という基準をみたすものではない。胸壁浸潤は、臓側胸膜への浸潤に限定してもよい。あるいは、骨膜や上部肋骨、椎骨に到達してもよい。鎖骨下の血管、腕神経叢や星状神経節に浸潤してもよい。」
Detterbeck FC. Changes in the treatment of Pancoast tumors. Ann Thorac Surg 2003;75:1990-7.

 今でも肺尖部にできた腫瘍のことを、”Pancoast型”という単語にして呼ぶことも多く、呼吸器科医の中で彼の名前は生き続けることでしょう。


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モーツァルトの死因は毒殺だったのか?
ラフマニノフはMarfan症候群ではなかったのかもしれない
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<偉人たち>
Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
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Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast
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by otowelt | 2012-10-16 17:46 | コラム:医学と偉人

Clara細胞の発見者:Max Clara

e0156318_21405984.jpg Clara細胞は、呼吸器内科医だけでなく医療従事者なら誰でも聞いたことがあると思います。Claraというファーストネームの女性ではなく、戦時中にヨーロッパで有名になった男性解剖学者です。処刑された人体を用いたため、一部の医学者からは痛烈に批判を受けたものの、彼の偉業は細胞に名を残すほどです。

 Max Clara(1899-1966)は、1899年にオーストリア南チロル地方のボーゼン付近にある田舎の村に生まれました。オーストリアのインスブルックとドイツのライプチヒで医学を学び、1923年にはすでに最も興味を抱いていた組織学・発生学の教室に所属していました。

 翌1924年、生まれ育ったボーゼン近くの村の開業医であった父親が急逝したあと、彼は村に戻ってそこで内科医を続けました。その合間をぬって、組織学の研究もおこなっていました。同時に対外的には、イタリアのパドゥア大学で教鞭もふるっていました。

 1935年にドイツのライプチヒ大学で解剖学教室を立ち上げるにあたり、Claraはその教授に就任することとなりました。その教室の成果として、1937年にヒトの気管支上皮において分泌細胞を新たに発見しました。
Clara M. Zur Histobiologie des Bronchalepithels [On the histobiology of the bronchial epithelium.]. Z mikrosk anat Forsch 1937; 41: 321–347.

e0156318_21473124.jpg この分泌機能を有した細胞については、1955年の文献で”Clara細胞”として記録されています。
Policard A, et al. Observations microe´lectroniquessur l’infrastructure des cellules bronchiolaires [Electron microscopic observations on the ultrastructure of bronchiolar cells.]. Les Bronches 1955; 5: 187–196.

 Claraは、当初からナチスと親しい関係にあった事が知られています。少なくとも1935年から1942年までの間は強く資金援助も受けていた可能性があります。彼は、死刑に処された囚人たちの肉体を使用したため、研究は当時から波紋を呼んでいました。
・Clara M. Ueber die Aufgaben und Ziele der Anatomie in unserer Zeit [On the tasks and goals of Anatomy in our time.]. Munchner Medizinische Wochenschrift 1935; 82: 939–942.
・Clara M. Geleitwort. [Preface.] Deutsches Hochschulverzeichnis - Lehrkorper, Vorlesungen und Forschungseinrichtungen 1942; 120:III–IV.


 戦時中は不遇の時期を過ごし、第二次世界大戦開戦から1945年まではアメリカ軍に自由を奪われていましたが、1946年に解放されました。その後、ドイツのいずれの教室においても彼に研究する場所はなく、教授職を得ることができませんでした。1950年にようやくトルコのイスタンブール大学の組織学教授に就任することができました。その後、1961年までその地位につきました。1966年にミュンヘンで逝去しています。


<偉人たち>
Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave
Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast
Clara細胞の発見者:Max Clara
サコマノ法の考案者:Geno Saccomanno
Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson
Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover
Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram

<音楽と医学>
モーツァルトの死因は毒殺だったのか?
ラフマニノフはMarfan症候群ではなかったのかもしれない
ショパンの死因は結核ではなかったかもしれない
ベートーヴェンの難聴と肝硬変の原因はワインの飲みすぎによる鉛中毒
ブラームスは外科医ビルロートの親友だった

<偉人たち>
Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave
Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast
Clara細胞の発見者:Max Clara
サコマノ法の考案者:Geno Saccomanno
Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson
Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover
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by otowelt | 2012-08-09 21:52 | コラム:医学と偉人

サコマノ法の考案者:Geno Saccomanno

e0156318_7271658.jpgSaccomanno G, et al. Concentration of carcinoma or atypical cells in sputum. Acta Cytol 7:305-310, 1963.

 蓄痰法の代表的な方法であるサコマノ法(Saccomanno's Fixative Procedure)は、呼吸器内科医であればご存知のことと思います。上記の論文は1963年に発表されたSaccomanno医師による論文です。Saccomannoは、扁平上皮化生を4つの異型度に分類(異型なし、軽度異型、中等度異型、高度異型)し、ウラニウム鉱の鉱失の喀痰を長期に追跡しました。

 Geno Saccomannoは、ユタ州Moabに1915年に生まれました。St. Louis大学で病理学を学んだのち、生まれ故郷に近いコロラド州Grand JunctionのSt. Mary's hoispitalの病理医として1948年赴任しました。西部コロラド州、東部ユタ州において精力的に病理医として活躍し、中枢性の肺癌における喀痰細胞診技術を確立した。肺癌の世界では当時彼を知らぬ者はいなかったと言われています。

 その後Grand Junctionで妻のVirginiaと生涯をともにした。St. Mary's Hospital Cancer Research Instituteを1993年に開設しました。1997年にこの施設をthe Saccomanno Research Institute に改名しました。彼は、1999年7月10日に逝去しました。

・Saccomanno Research Institute
 Wellington 4 Building 2530 North 8th Street, Suite 100 Grand Junction, CO


 Saccomanno法は、喀痰の粘液を除去しすることで細胞成分を高密度に集めて細胞診を行おうとする手法であり、1963年に考案されました。従来の自然喀出法では、3日以上の連続検痰が必要で、喀出後できるだけ早く塗抹固定する必要がありましたが、Saccomanno法は保存性の面で優れており当時の呼吸器内科医にとって画期的であした。Saccomanno法は、50%エタノールと2%ポリエチレングリコール20mlを混入した喀痰保存用容器を用いて採取されます。良悪性の判定にはよいのですが、組織型判定はしばしば困難となることもあります。

 近年は、YM式喀痰固定液などの登場によりオリジナルSaccomanno法ではない集痰法が主流となりつつあります。たとえばYM式は細胞変性(収縮、膨化)がないこと、Saccomanno法で使用するHigh Speed Mixerを必要としないため、集団検診での複数検体処理に有用です。




<音楽と医学>
モーツァルトの死因は毒殺だったのか?
ラフマニノフはMarfan症候群ではなかったのかもしれない
ショパンの死因は結核ではなかったかもしれない
ベートーヴェンの難聴と肝硬変の原因はワインの飲みすぎによる鉛中毒
ブラームスは外科医ビルロートの親友だった

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Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave
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サコマノ法の考案者:Geno Saccomanno
Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson
Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover
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by otowelt | 2012-05-30 07:28 | コラム:医学と偉人

Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram

e0156318_115985.jpgGram H. C. Ueber ide isolirte Färbung der Schizomyceten in Schnitt- und Trockenpräparaten. Fortschritte der Medicin, 2(6), 185-189 (1884).

上記は、あるデンマークの論文です。これは、Gram医師が1884年に発表したGram染色の世界初の論文です。Gram医師についてほとんど知らなかったので、海外のバイオグラフィーを参考にしてその生涯を記載したいと思います。

 Hans Christian Joachim Gram(1853年9月13日~1938年11月14日)は、法学部教授であったFrederik Terkel Julius Gramのもとに生まれました。

 Gramはコペンハーゲン大学生時代、当初植物学を専攻しましたが、大きなな発見や影響を社会に与えるわけではないという点からあまり情熱が湧かなかったと言っています。むしろ、動物学や医学の方に興味がありました。きわめて真面目な学生であり、当初から休日であろうと顕微鏡をのぞきこむことに没頭していました。そのため非常に出逢いが少なかったといいます。また、顕微鏡好きのせいで、生涯にわたりひどい近視を患うことになりました。

 20歳になり、Japetus Steenstrupのもとで1873年から1874年の2年間、動物学を学ぶスタッフとして教室で勉強しました。1878年に学位を取得し、30歳になる1883年までの間、Municipal Hospitalで内科研修医として研鑽を積みました。彼が医学に興味を持ったのは、赤血球の研究に興味があったためで、病院に勤務しながら血液学の研究を続けました。悪性貧血における大赤血球の研究結果が認められ、その成果として1882年に大学からゴールドメダルが授与されたました。これは29歳という若さの快挙でした。

 医学とともに微生物学に興味があったため、1883年にコペンハーゲン大学微生物学部のSalomonsenの研究に加わることになりました。彼とは生涯に渡りよい関係であったという記述が多く、手紙も多く残されています。Gramは、Salomonsenの紹介でドイツ・ベルリンのFriedländerの研究所に入りました。そこでGramは腎臓の管状円柱をいかにして染色するかということを研究しようと思いつきました。当時の腎臓学はほぼ未開拓であるということと、Friedländerの意向も汲む必要があり、特に微生物学的な目的で円柱染色に没頭したわけではありません。円柱をいかにして染色するかという方法を考えていた矢先に、偶発的に脱色されずに残った細菌をみつけて現在のGram染色を発見するにいたりました。1883年の同研究所のFriedländerが投稿した論文に、世界初のGram染色の記載があります。彼は、このGramの偉業を論文内で絶賛しています。そして、GramはFriedländerが編集をしている雑誌であるFortschritte der MedicinにGram染色について投稿し、1884年に上記冒頭の論文を発表することとなりました。共同研究者であるFriedländerは、Klebsiella pneumoniaeの発見者でもあります。

 その後、Gramは長期休暇をとりヨーロッパを転々としたといいます。休暇ののち、数ヶ月間ストラスブールの薬理学の研究所で仕事をしていますが、仲の良かったFriedländerは1887年肺結核で逝去し、Gramがベルリンを離れてから再会することはなかったといいます。

 コペンハーゲンに戻ったGramは、研究をやめて患者の治療に専念しました。そして1889年にLouise I. C. Lohseと結婚、1891年にはコペンハーゲン大学薬学部教授に任命されました。1892年にRoyal Frederiks Hospitalの内科チーフになりました。Pharmacopoeia Commissionの議長も兼任しており、当時の医学部教育・細菌学において、Gramを知らぬ者はいなかったとまで言わています。47歳の1900年にコペンハーゲン大学医学部教授職に推挙されたものの、彼はこれを辞退しました。
 
 教育主体・現場主義を貫き通したGramは70歳を迎え、1923年に多くの職を辞任、事実上現場から退くこととなりました。85歳になったとき、どういうわけか肺炎の血清療法の論文を1つ書いていますが、これについては謎が多く、経緯がよくわかっていません。1938年11月14日、妻Louiseに見守られ逝去しました。

 現在においてもGram染色は、さまざまな変法を持ちながらも不動の地位を確立しています。



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<偉人たち>
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Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram



by otowelt | 2012-05-03 19:29 | コラム:医学と偉人