カテゴリ:コラム:患者さんへの説明( 4 )

胸部レントゲン写真をどのように説明するか

 胸部レントゲン写真の所見をどのように患者さんに説明すべきか、個人的な意見を記載したいと思います。まず、医療従事者と患者さんの間には大きな認識の違いがあることを知っておくべきです。


・左右が逆であることを患者さんは知らない
 こちらを向いている人物がうつった写真を見ると、向かって左の方にある手がその人の右手であることは誰でもわかります。しかし、胸部レントゲン写真やCT写真を説明するとき、多くの患者さんは向かって左側が右肺であることをわかっていません。これは胸部画像が一般の方々にとって普段見慣れない写真だからです。それにもかかわらず「この右肺のカゲなんですが・・・」と説明し始めると患者さんは(え?これって左じゃないの?)と疑問に思いながら話を聞くことになる可能性があるので、胸部の写真を説明する前にはかならず肺の左右について一言説明を添えることをおすすめします。現在は液晶画面で説明する病院も多いと思いますが、レントゲンフィルムがある場合には自分の胸にあてて向かって左が右肺です、と説明するとより理解が深まると思います。


・まず心臓に目が行く
 胸部レントゲン写真を見慣れていると、真ん中に心陰影がうつっていることが当たり前に感じます。しかし、普段見慣れていない患者さんは、大きな腫瘍のようなものが真ん中にうつっているように見えます。そのため、可能であれば目立つ正常構造物については説明することが望ましいと思います。その後に、左右の肺、心臓、大動脈、胃泡などを説明します。特に胃泡は高頻度で質問されますので「胃の空気、すなわちゲップですので正常です」と説明しています。
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図. 患者さんが気になる陰影

・実際の説明
 胸部レントゲン写真を説明する場合、個人的には以下のように説明しています。異常がないかどうか気にしている人が多く、つらつらと所見を述べても頭に入っていかないので、私は先に結論を伝えています。

「向かって左側、こちらが右の肺で、逆側が左の肺です。まず結論から申し上げると、今回のレントゲン検査で大きな異常はないと思います。
 レントゲン写真は全体的に黒くうつっていることが正常です。真ん中に見えている白いものは、これが血管で、これが心臓です。こういった心臓などに接するような部分に異常があると胸部レントゲンではうつりにくいことがあるので、必要があれば胸部CT検査を行います。真ん中から出ている白い線も、正常な血管です。ここにうつっている黒いものは胃の空気です。これが外に出るとゲップになるわけです。」



・胸部レントゲン写真?胸部X線?
 私は、普段の診療で「胸部レントゲン写真」と呼んでいますが、本によっては「胸部X線写真」と書かれているものもあります。おそらく後者の方が正しい医学用語だと思いますが、「レントゲン」という名前が患者さんや医療従事者に定着してしまっているため、現場ではレントゲンという言葉を用いる人が多いです。


by otowelt | 2015-08-18 00:41 | コラム:患者さんへの説明

結局、胸部レントゲン写真の被曝は安全か?

e0156318_18134658.jpg・はじめに
 胸部レントゲン写真を撮影すると、被曝します。「大丈夫なのか大丈夫でないのか、結局どうなの?」という質問を患者さんからいただくことがあります。結論として、私は「ほぼ大丈夫」と答えています。「ほぼ」って何だ、とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、100%の安全が保障できない以上、臨床医はこう答えるしかないと思います。


・1つの数値目安:100 mSv
 ヒトの体は、何もしていなくても年間で2~3 mSvの自然放射線に晒されています。東日本大震災における福島の一件があってから、国際放射線防護委員会(ICRP)の「現在の福島第一原発は緊急事態時にあたる、事故による被曝量が年間20~100 mSvを超えないようにする」という声明に基づいて、1年間に100 mSv以下であれば問題ないとする論調が一時期マスメディアに流れました。ICRPは「それ以下なら安全という意味ではない」と追加明言し、これは「あくまで緊急時の目安にすぎない」としています。この問題についてはいまだに議論の余地があるところなので割愛しますが、この福島の一件によって国民の医療被曝に対する関心も深まったように感じます。

 一方、ヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)は、ICRPは低線量被曝のリスクを小さめに見積もっているのではないかと批判しています。ICRPとECRRには、それぞれ被曝線量のリスクモデルに差があり、ICRPは直線モデル(the linear, no threshold [LNT]モデル:こちらが有名)、ECRRは、極低線量でいったんリスクが極大値を示すというbiphasicモデルを提唱しています(図1)。いずれも“しきい値”のない確率的影響を表していますが、発がんについては確率的影響でよいとする世界的にコンセンサスがあります。
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図1. LNT(左1))とbiphasic(右2))の発がんリスクモデル

 しきい値のない両モデルのいずれかが正しいのであれば、低線量でも発がんのリスクが増加します。その低線量の基準値として100 mSvという数値がよく引き合いに出されます。この数値が注目されている理由はいくつかあります。1つ目は、上記のようにICRPが分類した被曝量の基準値としての100 mSvがあることです。100 mSvの放射線を全身に被曝することで癌による死亡率が0.5%上昇することが報告されています。2つ目は100 mSv以上の原爆生存者におけいて、過剰ながん発生が観察されているためです。3つ目は、100 mSv以下の被曝量では、統計学的にヒトのがんのリスクを評価することは難しいとされていることです。種々の情報に基づいて100 mSv以下でがんのリスクがないとする文章もよく見かけますが、正確には「100 mSv以下はリスク評価が極めて難しい低線量である」ということではないでしょうか。チェルノブイリの件ですら、発がんとの因果関係の根拠をめぐって論争が繰り広げられたくらいです。低線量ではその議論はやみません(図2)。
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図2. 100 mSv以下もLNTモデルで説明可能?


・患者さんが心配すること
 患者さんが心配するのは、胸部レントゲンやCT写真を撮影することによる発がんです。上記の直線モデルが正しいとしても、低線量の医療被曝による発がんについては、まだ確実な証明がなされていません。この状況で言えることがあるとすれば、放射線に安全な量はないだろうということです。ただし、しきい値があるとする研究グループもあります(Wikipedia:しきい値はあるという反論)ので、将来的に決着がつくのかどうか見ものです。

 病院で撮影される胸部レントゲン写真は1回あたり0.02~0.1 mSv程度です(撮影条件や診断法によって変動します)。また、側面レントゲン撮影は正面レントゲン撮影の3~4倍の被曝量とされています。飛行機に乗ると宇宙線に晒されますが、国際線の場合、胸部レントゲン写真を撮影するのと同じくらいの被曝量とされています。そのため、1年間に複数回胸部レントゲンを撮影する外来患者さんが受ける被曝量は、海外旅行に何度も行くようなものです。

 胸部レントゲン写真の場合、通常の撮影では被曝が発がんのリスクになることはほとんどないでしょう。ただしこのリスクがないことの疫学的証明は難しく、いまだに世界各国の研究者の間でも意見が分かれています。近年、5000人以上の炭鉱夫を30年間フォローアップした研究が報告されていますが、これによれば胸部レントゲン写真の撮影によって過剰な肺癌の死亡は観察されなかったとされています3)

 胸部CTになると被曝量が少しだけ上昇しますので(1回5~8 msV程度)、議論はもう少し複雑になります。

 妊婦の場合は医学的なリスクよりも社会的な問題の方を優先して撮影しないことが多いです(胎児に与える影響は微々たるものとされています)。胸部レントゲン写真の撮影を拒否する妊婦さんが、新婚旅行で飛行機に乗って海外に行くのをみると「なんだかなあ」と思ってしまうこともあります。


1) Pierce DA, et al. Radiation-related cancer risks at low doses among atomic bomb survivors. Radiat Res. 2000 Aug;154(2):178-86.
2) ECRR. 2010 Recommendations of the European Committee on Radiation Risk.
3) Laborde-Castérot H, et al. Chest X-ray screening examinations among French uranium miners: exposure estimation and impact on radon-associated lung cancer risk. Occup Environ Med. 2014 Jun 23. pii: oemed-2013-101937. doi: 10.1136/oemed-2013-101937. [Epub ahead of print]



by otowelt | 2014-08-09 00:03 | コラム:患者さんへの説明

気管支鏡検査はしんどい検査だと説明した方がよいか?

e0156318_23464925.jpg●はじめに
 気管支鏡検査は、消化器内視鏡検査と異なり咳嗽と呼吸困難感が前面に出てしまう検査です。そのため、非常にしんどい検査であることは否めません。正直申し上げると、私は気管支鏡検査はできれば受けたくありません。

 私は気管支鏡検査のときには、「このペンくらいの太さのカメラを口(鼻)から挿入して検査します。声門という、声を出すところを通過しますので、ご飯粒が気管に入ったときのような、ああいった咳が出ると思います。びっくりされるかもしれませんが、呼吸はしっかりできますのでパニックにならなくてよいです。」といった感じで導入の説明をします。患者さんからは必ず「しんどい検査なんでしょうか?」と質問が来ますが、その時にどう答えるべきか結構悩んでしまいます。

 呼吸器内科医になったばかりの頃は「少ししんどいけど、大丈夫です!」と無責任なことを言っていたように思いますが、最近は「どちらかと言えば、しんどい検査です」と言う方が多くなりました。呼吸器内科医の皆さんはどう答えているでしょうか?


●少し下駄を履かせて「しんどい検査です」と言う方がよい?
 気管支鏡検査に限ったことではありませんが、「ラクな検査です」と伝えてしまうと、検査後に「聞いていた説明と違う!」と患者さんが落胆・憤慨されることがあります。そりゃラクだと聞いていたのに、咳や息苦しさがひどければ憤慨するのは当然です。そのため、個人的な意見ですが「しんどい検査です」という説明で少し下駄を履かせた方がまだマシではないかと思うのです。もちろん、患者さんを不安にさせるような説明はよくないと思いますので、その塩梅は主治医の裁量が問われるでしょう。

 最近はプロポフォールやミダゾラムを使って鎮静下での気管支鏡検査を行う機会も増えました。当院でも以前よりはその件数が格段に増えています。しかし過量投与してしまうと後々大変ですので、保守的に少しだけ投与量を減らしてしまうのが現状です。結果的に鎮静下でも「しんどかった」とおっしゃられる患者さんもいますので、もう少し量を増やした方がよかったのかと振り返ることが時にあります。


●「咳が出る咳止め」
 鎮静をおこなわず、リドカインの散布のみで気管支鏡を完遂することもありますが、その時にはまさに「咳の出る咳止め」現象が起こります(詳しくは日経メディカルオンライン「『咳が出る咳止め』とは?」の記事を参照)。


by otowelt | 2014-02-15 23:48 | コラム:患者さんへの説明

DNAR

e0156318_16464862.jpg・89歳、肺炎
 たとえば、あなたが入院患者Aさんの主治医になったとしましょう。Aさんは89歳の男性で、鼻カニューレで3L/分の酸素投与を必要とする右肺の大葉性肺炎がありました。よくよく話を聞いてみると、最近誤嚥が多くなり、トイレやお風呂で転ぶことが多くなったとのこと。しかしながら、Aさんは新聞を毎日読めるくらいに認知力はありそうです。入院に付き添ってきた家族はAさんの妻、子どもを含めて4人。Aさん本人と合わせて5人に病状説明をすることになりました。

主治医であるあなたが病状説明のために部屋に入ると、
大丈夫!しっかり治して早く家に帰ろうね!
と家族さんがAさんを励ましている姿が真っ先に目に入りました。

「――はじめまして、主治医の●●です。」

さて、こういった高齢の患者さんや家族に対して、医療従事者の皆さんは延命治療や心肺蘇生の話をどのように切り出していますか?あるいは、そもそもそんな話を切り出すべきなのでしょうか?


・はじめに
 そもそも、なぜ病気を治そうと意気込んで入院してきた患者さんに延命治療や心肺蘇生の話をするという意見が出るのでしょうか。それは、最も起こりうる最悪の事態を考えなければならないからです。医療とは、こうあって欲しいという理想的な経過と、万が一でも起こりうるだろう悪い事態の両方を考えておく必要があります。それは内科であろうと外科であろうと同じです。入院してきた当初、ただの大葉性肺炎であったとしても、この先どのような経過をたどるかは神様でない限り分かりません。誤嚥性肺炎が絶飲食と抗菌薬である程度よくなるだろうと思っていても、頭のどこかではこのまま重症の病態に陥る可能性も考えなければなりません。特にAさんのように90歳近い高齢の患者さんでは、入院した日の夜に酸素投与量が追い付かなくなり人工呼吸器を要する事態になることは十分ありうるわけです。もっとひどい場合、入院当日の夜に心肺停止状態に陥ってしまうこともあるかもしれません。

 病院施設、医療従事者が最も懸念する問題として「急変時の方針が決まっていない高齢患者さんで主治医が早急に対応できない状態」があります。本人の意思表示が不明で、家族と十分な議論をする余地がないまさに“急変”である場合は、疑わしきは治療すべきという観点から心肺蘇生を含め全力で患者さんの救命にあたります。


e0156318_16522724.jpg・DNARをとる
 私の嫌いな言葉に「DNARをとる」という言葉があります。医療従事者であればほぼ全員の人がこの言葉の意味をご存知のことと思います。「DNAR」というのは「Do Not Attempt Resuscitation」の略で、癌の終末期や高齢者などの患者さんが心肺停止に陥った際に心肺蘇生を行わないという意味です。そのため、「DNARをとる」という言葉は「有事の際に心肺蘇生を希望しないという患者さんサイドからの意思表示を得た」ということを意味します。

 DNARという言葉は、もともと「DNR」でした。「Attempt(試みる)」という単語がついていなかったのです。AHAガイドライン2000では、「DNR」という言葉は蘇生する可能性が高いのに蘇生しないという印象を持たれやすいという考えから、「Attempt」が付け加えられました。すなわち、蘇生に成功することが少ない中では蘇生処置を敢えて試みないという患者さんサイドに与える印象を緩和したものです。

 繰り返しますが、私は「DNARをとる」という言葉があまり好きではありません。「とる」ことを目的とした言葉のような気がしてならないからです。かといって、必要十分条件を満たす言葉は存在しないようにも思います。箕岡真子先生の言う「蘇生不要指示」という言葉はこれらの問答を広い視野にみた無難な用語なのかな、とも思います。


・十字架を背負う
 DNARの意思表示を患者さん本人あるいは患者さんの家族から得るのは基本的に主治医の役割です。もちろんチーム医療をおこなっている場合、複数の医療従事者が積極的に介入をして延命治療について皆で話し合うことは大切です。しかしながら、心肺蘇生に関して病院側と患者側に何らかのトラブルが生じた場合、法的に最も重く責任がのしかかるのは病院と主治医であることは否めません。特に昨今は病院と主治医の双方が被告になることもありうるため、その流れは顕著です。

 また、患者さんの臨終に際して「本当に延命しなくて正解だったのだろうか」と自問自答することは苦しいものです。多職種の介入によって背負う十字架の重みを共有し合えるとはいえ、多くの場合、患者さんと家族さんは主治医を頼ってくるため、生命の最終決定ボタンは主治医が押さなければならないのが今の日本の現状です。「あのときああすれば、あと1年は生きられたかもしれない」と夜な夜な苦しむことのある医師も少なくないのでは、と思わずにいられません。


・現場の問題点
 患者さん本人に説明をすることが原則ではありつつも、患者さんに延命治療や心肺蘇生について直接話ができることはそう多くありません。その理由は、日本人の死生観が不可侵的なものとして扱われてきた歴史があるからかもしれません。今から闘病に臨もうとしている人に対して死生について話すことは、日本人の儒教由来の死生観に鑑みるとタブーに近いものがあります。肺癌や特発性肺線維症のような慢性疾患であれば、患者さんとの間にラポールを構築して終末期をどうするかと言う話し合いが直接できるかもしれませんが、重症肺炎などの急性疾患の場合、矍鑠(かくしゃく)としている方であればあるほど直接話しにくいと感じる医師は多いのではないでしょうか。

 患者さん本人の意思こそが全てに優先されるものですし、そうあるべきだと思われがちですが、それを毎回確実に実践できている医師というのは極めてまれだろうと感じます。

 また、DNARの意思表示のある患者さんが予測できない医学的問題(心筋梗塞、脳出血、消化管出血など)を起こした場合、DNARだから何もしないというのはありえないわけで、結果的にDNARの意思表示がある患者さんが挿管・心肺蘇生・気管切開・寝たきりにまで至るケースというのは現実的に起こりうるわけです。原疾患によって起こった心肺停止であったとしても、癌の脳転移による脳出血なのか、高血圧による脳出血なのか即座に判断できないケースもあります。そのため、救命しなければならないと考えられるグレーゾーンは無数に存在します。


・おわりに
 いつだったか、ARDSの患者さんと家族に病状説明をしたとき、患者さん自ら「いかなる疾患においても心肺停止については延命を希望しない」という申し出をしてきたことがありました。実はその患者さんは元医療従事者だったので、普段から自分がどういった事態になった時にどこまでして欲しいかを家族と話し合っていたようなのです。

 私たち医療に携わる人間は、延命治療を受けた患者さんをたくさん見てきました。そのため、自分はこうして欲しいという確固たる意思を持っている人も多いでしょう。一般の方々にとって、短時間で生命の決断を下すことは非常に難しいです。とかくその相手が家族だったりすると、なおさらでしょう。子どものうちから、とまではいいませんが、日本における死生教育のあり方が解決策の1つなのかもしれませんね。


by otowelt | 2013-12-30 00:39 | コラム:患者さんへの説明