しばしばブログの主旨から逸脱するが、これは臨床医として一生悩むであろう命題である。
●余命の推定
呼吸器内科医として余命の質問をされるのは、肺癌の患者さんからがほとんどであり、残りは一部の難治性疾患(特発性肺線維症やリンパ脈管筋腫症)である。
経験上、癌患者さん本人よりも第一親等にあたる家族さんからの質問が多い。しかしながら、医師にとってこの質問に答えるのは非常に難しい。理由はきわめて単純で、「予想ができないから」である。よくテレビドラマで「もってあと2年です」など告知するシーンがあるが、ああいった予想はおそらく癌の病期(ステージ)に基づいた数値と主治医の経験を組み合わせた発言だと思われる。ただ、医師は患者さん本人への配慮から余命を長めに伝えがちとも言われており、現状としては正確な余命はほとんど患者さんに伝えられていない。
診断期・治療期の段階での余命推定は難しく、終末期・死前期になるほど余命推定がしやすいのは臨床医すべてに実感のあるところだろう。そのため、終末期の予後推定には客観的スケールが存在する。
●終末期の余命推定の客観的評価
終末期には予後を推定するスコアがあるため、それを用いて伝えることが多い(もちろん個々の患者さんの状態に即して総合判断となるが)。具体的には、Palliative Prognostic Score (PPS)やPalliative Prognostic Index (PPI)である。いずれもPerformance Scaleを用いる。
・Palliative Prognostic Score (PPS)

臨床的な予後の予測という項目があるため、主観的評価になりやすいのがデメリット。
・Kernofsky Performance Scale
100 正常、臨床症状なし
90 軽度の臨床症状があるが、正常の活動が可能
80 かなり臨床症状があるが、努力して正常の活動が可能
70 自分自身の世話は可能だが、正常の活動・労働はできない
60 自分に必要なことはできるが、ときどき介助が必要
50 病状を考慮した看護および定期的な医療行為が必要
40 動けず、適切な医療および看護が必要
30 全く動けず、入院が必要だが士は差し迫っていない
20 非常に重症、入院が必要で精力的な治療が必要
10 死期が切迫している
0 死亡
・Palliative Prognostic Index (PPI)
合計得点が6より大きい場合、患者が3週間以内に死亡する確率は感度80%、特異度85%、陽性反応適中度71%、陰性反応適中度90%である。
・Palliative Performance Scale
上述したように1人の医師による予後推定は長くなってしまう可能性があるため、複数の医師とともに客観的指標に基づいて予後推定を行うのことが望ましいとされている。しかしながら、この予後推定はあくまで”推定”であり、患者さん個々の事例には当てはまらないことも少なくない。ゆえに、当該患者さんについて一番詳しい主治医の主観的評価に依存するところが大きいのが現実である。
●余命告知をすべきかどうか
「癌に罹患したときに、患者本人やその家族にとって、予後を理解するということは非常に大切なことであり、特に癌が進行し、その後の治療をどのようにおこなっていくか、また療養する場所の選択についての、患者やその家族の意思決定過程の際に必要不可欠な要素となる。残された時間の使い方、家族などの大切な人たちとの過ごし方について考えることも含め、気持ちの準備をするためにも必要な情報である。」
上記の文面は『精神腫瘍学クイックリファレンス』(小川朝生・内富庸介編集、創造出版)の”予後の評価”という項で述べられている文章を一部抜粋したものである。癌患者さんにとって予後を知ることは非常に重要なのだが、それを知るべきかどうかという命題については言及していない。
2007年の論文で興味深い報告があるが、余命について医師から具体的に教えてほしい患者さんは全体の40%、聞きたくない患者さんは10~20%と言われている。すなわち、患者さんの全員が余命の告知を希望しているわけではない(Sanjo M, et al.Ann Oncol 18(9):1539-1547, 2007)。一般的に、年齢が高くなるほど予後告知の希望は減少するとされている(滝沢昭利ら.臨床泌尿器科2004;58(2):137-141.)が、いきなり告知をされてパニックや急性ストレス障害に陥る患者さんもいる(宮森正.JIM 2011;(9):730-735.)。
日本の文化が、余命推定だけでなく癌告知そのものを是としてこなかった歴史を孕むため、こういった風潮はまだ根強い。そのため、いわゆる”お茶を濁す”ことで言及を避ける手法がとられていることもある。すなわち、診断・治療期には具体的な余命の言及を避け、終末期・死前期に「あと数日かもしれません」と具体的な言及をする。
余命についてのbad news tellingだけでなく、医療従事者として何が”できる”か、というポジティブな説明をすることが患者さんの不安を軽減できるとも考えられている(Morita T, et al. Ann Oncol 2004;15:1551–1557.)ため、症状や苦しみを取ることができるという情報を積極的に与えることで余命告知の精神的ダメージをある程度軽減できる可能性はある。
ただ実際の現場では、余命まで伝えるかどうかはきわめて繊細な判断であるため、客観的な指標があってどれだけ推定が可能になろうとも、それを伝えるか否かは主治医の裁量に任される。余命告知をすべきかどうかという命題には、EBMやデータからは答えは出せない。余命告知をしたことで、生命保険の生前給付が可能となり夫婦でヨーロッパへ旅行することができた患者さんもおられたし、余命告知の希望があったため告知したものの希望を失ってしまった患者さんもおられた。どのような理由で告知するにせよ、余命の告知は患者さんの人生あり方を左右する重い言葉であることを私たち臨床医は肝に銘じておかねばならない。
●余命の推定
呼吸器内科医として余命の質問をされるのは、肺癌の患者さんからがほとんどであり、残りは一部の難治性疾患(特発性肺線維症やリンパ脈管筋腫症)である。
経験上、癌患者さん本人よりも第一親等にあたる家族さんからの質問が多い。しかしながら、医師にとってこの質問に答えるのは非常に難しい。理由はきわめて単純で、「予想ができないから」である。よくテレビドラマで「もってあと2年です」など告知するシーンがあるが、ああいった予想はおそらく癌の病期(ステージ)に基づいた数値と主治医の経験を組み合わせた発言だと思われる。ただ、医師は患者さん本人への配慮から余命を長めに伝えがちとも言われており、現状としては正確な余命はほとんど患者さんに伝えられていない。
診断期・治療期の段階での余命推定は難しく、終末期・死前期になるほど余命推定がしやすいのは臨床医すべてに実感のあるところだろう。そのため、終末期の予後推定には客観的スケールが存在する。
●終末期の余命推定の客観的評価
終末期には予後を推定するスコアがあるため、それを用いて伝えることが多い(もちろん個々の患者さんの状態に即して総合判断となるが)。具体的には、Palliative Prognostic Score (PPS)やPalliative Prognostic Index (PPI)である。いずれもPerformance Scaleを用いる。
・Palliative Prognostic Score (PPS)

・Kernofsky Performance Scale
100 正常、臨床症状なし
90 軽度の臨床症状があるが、正常の活動が可能
80 かなり臨床症状があるが、努力して正常の活動が可能
70 自分自身の世話は可能だが、正常の活動・労働はできない
60 自分に必要なことはできるが、ときどき介助が必要
50 病状を考慮した看護および定期的な医療行為が必要
40 動けず、適切な医療および看護が必要
30 全く動けず、入院が必要だが士は差し迫っていない
20 非常に重症、入院が必要で精力的な治療が必要
10 死期が切迫している
0 死亡
・Palliative Prognostic Index (PPI)
合計得点が6より大きい場合、患者が3週間以内に死亡する確率は感度80%、特異度85%、陽性反応適中度71%、陰性反応適中度90%である。

・Palliative Performance Scale

上述したように1人の医師による予後推定は長くなってしまう可能性があるため、複数の医師とともに客観的指標に基づいて予後推定を行うのことが望ましいとされている。しかしながら、この予後推定はあくまで”推定”であり、患者さん個々の事例には当てはまらないことも少なくない。ゆえに、当該患者さんについて一番詳しい主治医の主観的評価に依存するところが大きいのが現実である。
●余命告知をすべきかどうか
「癌に罹患したときに、患者本人やその家族にとって、予後を理解するということは非常に大切なことであり、特に癌が進行し、その後の治療をどのようにおこなっていくか、また療養する場所の選択についての、患者やその家族の意思決定過程の際に必要不可欠な要素となる。残された時間の使い方、家族などの大切な人たちとの過ごし方について考えることも含め、気持ちの準備をするためにも必要な情報である。」
上記の文面は『精神腫瘍学クイックリファレンス』(小川朝生・内富庸介編集、創造出版)の”予後の評価”という項で述べられている文章を一部抜粋したものである。癌患者さんにとって予後を知ることは非常に重要なのだが、それを知るべきかどうかという命題については言及していない。
2007年の論文で興味深い報告があるが、余命について医師から具体的に教えてほしい患者さんは全体の40%、聞きたくない患者さんは10~20%と言われている。すなわち、患者さんの全員が余命の告知を希望しているわけではない(Sanjo M, et al.Ann Oncol 18(9):1539-1547, 2007)。一般的に、年齢が高くなるほど予後告知の希望は減少するとされている(滝沢昭利ら.臨床泌尿器科2004;58(2):137-141.)が、いきなり告知をされてパニックや急性ストレス障害に陥る患者さんもいる(宮森正.JIM 2011;(9):730-735.)。
日本の文化が、余命推定だけでなく癌告知そのものを是としてこなかった歴史を孕むため、こういった風潮はまだ根強い。そのため、いわゆる”お茶を濁す”ことで言及を避ける手法がとられていることもある。すなわち、診断・治療期には具体的な余命の言及を避け、終末期・死前期に「あと数日かもしれません」と具体的な言及をする。
余命についてのbad news tellingだけでなく、医療従事者として何が”できる”か、というポジティブな説明をすることが患者さんの不安を軽減できるとも考えられている(Morita T, et al. Ann Oncol 2004;15:1551–1557.)ため、症状や苦しみを取ることができるという情報を積極的に与えることで余命告知の精神的ダメージをある程度軽減できる可能性はある。
ただ実際の現場では、余命まで伝えるかどうかはきわめて繊細な判断であるため、客観的な指標があってどれだけ推定が可能になろうとも、それを伝えるか否かは主治医の裁量に任される。余命告知をすべきかどうかという命題には、EBMやデータからは答えは出せない。余命告知をしたことで、生命保険の生前給付が可能となり夫婦でヨーロッパへ旅行することができた患者さんもおられたし、余命告知の希望があったため告知したものの希望を失ってしまった患者さんもおられた。どのような理由で告知するにせよ、余命の告知は患者さんの人生あり方を左右する重い言葉であることを私たち臨床医は肝に銘じておかねばならない。