東日本大震災における胸部外傷
2013年 01月 05日
東日本大震災から2年近く経とうとしているのですね。
ディスカッションで述べられているように、生存できなかった犠牲者の多さが胸部外傷受診の低さにつながったのではないかと思います。
Kimiaki Sato, et al.
Chest injuries and the 2011 Great East Japan Earthquake
Respiratory Investigation(2013), doi:10.1016/j.resinv.2012.11.002
背景:
大地震における胸部外傷についてはまだよくわかっていない。われわれは、2011年3月11日の東日本大震災によって診断ないし治療された胸部外傷について患者プロファイルを記載することとした。
方法:
大震災から最初の1週間の間に石巻赤十字病院を受診した3938人の診療録をレトロスペクティブにレビューした。 合計77人の患者が病院到着時死亡していた。残りの3861人のうち42人(1.1%)が胸部外傷を有していた。胸部外傷は身体所見や胸部レントゲン、胸部CTに基づいて診断された。
結果:
胸部外傷は42人の患者にみられ、22人が男性、20人が女性であった(年齢範囲21-99歳)。胸部外傷の最もよくみられた原因は津波であった(21人)。その次に転落(9人)、交通事故(1人)であった。しかし、11人については情報が喪失していた。
最もよくみられた胸部外傷の病因は裂傷や挫傷といった表層外傷であった(37人)。5人のみが肋骨骨折をきたしており、胸腔内異常は気胸(3人)、血胸(1人)、誤嚥(1人)といった内訳であった。
ディスカッション:
Wenchuanにおける地震や、阪神淡路大震災では10%以上の患者に胸部外傷がみられたとされている(World J. Surg. 2010;34:728–32.、Chest 1996;110:759–61.)。今回の東日本大震災における胸部外傷は少なかったが、これは全体の重症度が低かったり地震の規模が小さかったわけではなく、規模の大きさや津波の影響、低体温の影響などによって致死的に陥った犠牲者が多数存在したためではないかと考えられる。
結論:
胸部外傷の患者数は驚くべきことに少数であった。ほとんどの患者が入院を要さなかった。重篤な胸部外傷による少数生存者は、大地震による津波によって説明される外傷であった。
ディスカッションで述べられているように、生存できなかった犠牲者の多さが胸部外傷受診の低さにつながったのではないかと思います。
Kimiaki Sato, et al.
Chest injuries and the 2011 Great East Japan Earthquake
Respiratory Investigation(2013), doi:10.1016/j.resinv.2012.11.002
背景:
大地震における胸部外傷についてはまだよくわかっていない。われわれは、2011年3月11日の東日本大震災によって診断ないし治療された胸部外傷について患者プロファイルを記載することとした。
方法:
大震災から最初の1週間の間に石巻赤十字病院を受診した3938人の診療録をレトロスペクティブにレビューした。
結果:
胸部外傷は42人の患者にみられ、22人が男性、20人が女性であった(年齢範囲21-99歳)。胸部外傷の最もよくみられた原因は津波であった(21人)。その次に転落(9人)、交通事故(1人)であった。しかし、11人については情報が喪失していた。
最もよくみられた胸部外傷の病因は裂傷や挫傷といった表層外傷であった(37人)。5人のみが肋骨骨折をきたしており、胸腔内異常は気胸(3人)、血胸(1人)、誤嚥(1人)といった内訳であった。
ディスカッション:
Wenchuanにおける地震や、阪神淡路大震災では10%以上の患者に胸部外傷がみられたとされている(World J. Surg. 2010;34:728–32.、Chest 1996;110:759–61.)。今回の東日本大震災における胸部外傷は少なかったが、これは全体の重症度が低かったり地震の規模が小さかったわけではなく、規模の大きさや津波の影響、低体温の影響などによって致死的に陥った犠牲者が多数存在したためではないかと考えられる。
結論:
胸部外傷の患者数は驚くべきことに少数であった。ほとんどの患者が入院を要さなかった。重篤な胸部外傷による少数生存者は、大地震による津波によって説明される外傷であった。
by otowelt
| 2013-01-05 10:57
| 救急