医学論文の捏造
2014年 03月 16日
※改訂をくわえるほどの記事でもないのですが、小保方晴子さんの騒動でいろいろ考えさせられたため、追記します(2014年3月16日)。
●はじめに
小保方晴子さんがファーストオーサーとなっているSTAP細胞に関する医学論文が、過去の論文(下書きという主張だそうです)と類似している点、またその過去の論文が他のリソースから転用されているのではないかという指摘を受けて、Natureに掲載された当該論文が取り下げられる方針になりました。
医師は科学者でもあるため、医学論文を書くことが多いです。呼吸器内科医は専門医試験のために論文が必要ですので、私は医師になって5年目でようやく症例報告を書きました。資格のために書き始めた論文ですが、こんなちっぽけな報告でも誰かが医学的利益を享受できるなら、と嬉しい気持ちになったのを覚えています。
医師の間で、”論文”という言葉は”原著論文”を指すことが多いのですが、症例報告も立派な論文には違いありません。ただ、症例報告と第3相ランダム化比較試験の報告では天と地ほどの差があります。なぜなら、特に大きな組織に属している医師であるほど、その成果によって自身の将来や外部からの研究費が決まることがあるからです。症例報告しか論文がない医師は、内科系の教授になることはおそらく異例ですし、しかるべき研究費も貰えない可能性があります。そのため、医学論文には捏造が起こりうるのです。
●近年の論文捏造
先に述べた小保方晴子さんの論文は捏造と決まったわけではなく、あくまで“取り下げ”である点に注意したいと思います。STAP細胞の存在については研究グループは否定しておりません。
2012年夏に東邦大学医学部の元准教授が史上最多の172本の論文を捏造したという話題は非常に印象的であり、医師の多くが知っているでしょう。この件に関わった大多数の論文では研究対象が1例も存在せず、すべて小説を書くようにして捏造されたものだという調査結果が報告されています。これは、査読する過程にももちろん問題があるのですが、医学論文そのものが性善説で成り立っていることが問題なのです。共著者にはその試験に寄与した人間が並ぶのですが、全員がデータ解析をおこなうわけではありません。そのため、たった一人の人間の一存でデータの数値が書き換えられれば、安易に論文の捏造ができ、それが世界に発表される可能性があるのです。東邦大学の件については、Carlisle医師がその内容を糾弾する解析をおこなっています。試験すべての解析で、不自然な偏りが指摘されました。 Carlisle JB, The analysis of 169 randomised controlled trials to test data integrity. Anaesthesia. 2012, Epub 8 Mar 2012
東京大学でも、医学論文捏造問題のワーキンググループに入っていた医師が主導した論文の捏造が2012年に大きく報道されました。ウェスタンブロットのバンドが同じ形をしていたことから捏造が明るみに出ました。当該医師が携わった論文には、NatureやCellといった有名な医学雑誌が多数含まれていました。 論文には大きく撤回(retracted)の赤字が印字されます。
The chromatin-remodeling complex WINAC targets a nuclear receptor to promoters and is impaired in Williams syndrome. Cell. 2003 Jun 27;113(7):905-17.
●グレーゾーン
医学論文は科学雑誌であると同時に娯楽雑誌でもあります。読者が惹きつけられる論文でなければ、採択されません。全世界の医学雑誌がそういったスタンスから変えてくれれば問題ないのですが、インパクトファクターという雑誌評価に縛られた編集者は、ネガティブスタディ(エンドポイントを達成できなかった試験)よりもポジティブスタディを選ばざるを得ません。そのため世界中の研究者たちはポジティブスタディを発表しようと躍起になり、捏造が起こってしまうのです。この悪しき螺旋を断ち切ることは困難です。これを防ぐために倫理教育を徹底することや、査読システムを改善すること、罰則を設けるといった処置が考案されていますが、医学論文の捏造はおそらく今後も続くでしょう。
論文を書く際に、恣意的であることは往々にしてあります。たとえば患者が申告する症状やQOLの評価項目を、何とか良い方向に持っていくため、話術で「少しはよくなった」と言わせること。これは厳密には捏造とは違い、非常に恣意的である行為と言えます。また、論文中で強調したいポイントを大々的に書き、あまり突っ込まれたくない部分はあまり書かないという手法も恣意的といえば恣意的です。どこからが科学者として不正にあたるのかは難しいところで、こういった恣意的であるグレーゾーンは広く存在します。
●論文捏造に防止策はあるのか?
少しでも医学論文の捏造を減らしたいならば、捏造をしてまで医学論文を書かなければならないという環境をなくすことだと思います。それには人の出処進退や研究費を決定する評価者がアセスメントクライテリアを変えていくことが肝要になります。あるいは現在おこなわれているように罰則規定をより重いものに変える方法もありますが、前述のようにどこからが不正でどこからが正当なのかグレーゾーンの事例も多く、限られた人件費で綿密な調査を行うことは非常に難しいと思います。他にも、Nature Medicineから面白いアイディアも提唱されています。研究者の人生の中で発表できる論文を合計20に制限してしまえば、必然的に論文の質は上がるだろうという考え方です。研究者から反発の出そうな方法ですが、目の付け所は非常に良いと思います。
What would you do if you could publish only 20 papers throughout your career? Nature Medicine 13;1121:2007.
私も昨年CHESTに投稿した論文がレビュアーに回ることなく数日であっさりリジェクトされましたが、もっとインパクトのある結果ならよかったのかも・・・と頭をよぎることもありました。この成果が自分の職業的立ち位置を大きく左右するようなことであれば、私ももしかするとグレーゾーンに足を突っ込む可能性があったのではないかと思わずにいられません。
世紀の大発見をした科学者であったヘンドリック・シェーンの論文捏造について詳しく書いた本があります。参考にどうぞ。
●はじめに
小保方晴子さんがファーストオーサーとなっているSTAP細胞に関する医学論文が、過去の論文(下書きという主張だそうです)と類似している点、またその過去の論文が他のリソースから転用されているのではないかという指摘を受けて、Natureに掲載された当該論文が取り下げられる方針になりました。
医師は科学者でもあるため、医学論文を書くことが多いです。呼吸器内科医は専門医試験のために論文が必要ですので、私は医師になって5年目でようやく症例報告を書きました。資格のために書き始めた論文ですが、こんなちっぽけな報告でも誰かが医学的利益を享受できるなら、と嬉しい気持ちになったのを覚えています。
医師の間で、”論文”という言葉は”原著論文”を指すことが多いのですが、症例報告も立派な論文には違いありません。ただ、症例報告と第3相ランダム化比較試験の報告では天と地ほどの差があります。なぜなら、特に大きな組織に属している医師であるほど、その成果によって自身の将来や外部からの研究費が決まることがあるからです。症例報告しか論文がない医師は、内科系の教授になることはおそらく異例ですし、しかるべき研究費も貰えない可能性があります。そのため、医学論文には捏造が起こりうるのです。
●近年の論文捏造
先に述べた小保方晴子さんの論文は捏造と決まったわけではなく、あくまで“取り下げ”である点に注意したいと思います。STAP細胞の存在については研究グループは否定しておりません。
2012年夏に東邦大学医学部の元准教授が史上最多の172本の論文を捏造したという話題は非常に印象的であり、医師の多くが知っているでしょう。この件に関わった大多数の論文では研究対象が1例も存在せず、すべて小説を書くようにして捏造されたものだという調査結果が報告されています。これは、査読する過程にももちろん問題があるのですが、医学論文そのものが性善説で成り立っていることが問題なのです。共著者にはその試験に寄与した人間が並ぶのですが、全員がデータ解析をおこなうわけではありません。そのため、たった一人の人間の一存でデータの数値が書き換えられれば、安易に論文の捏造ができ、それが世界に発表される可能性があるのです。東邦大学の件については、Carlisle医師がその内容を糾弾する解析をおこなっています。試験すべての解析で、不自然な偏りが指摘されました。
東京大学でも、医学論文捏造問題のワーキンググループに入っていた医師が主導した論文の捏造が2012年に大きく報道されました。ウェスタンブロットのバンドが同じ形をしていたことから捏造が明るみに出ました。当該医師が携わった論文には、NatureやCellといった有名な医学雑誌が多数含まれていました。
The chromatin-remodeling complex WINAC targets a nuclear receptor to promoters and is impaired in Williams syndrome. Cell. 2003 Jun 27;113(7):905-17.
●グレーゾーン
医学論文は科学雑誌であると同時に娯楽雑誌でもあります。読者が惹きつけられる論文でなければ、採択されません。全世界の医学雑誌がそういったスタンスから変えてくれれば問題ないのですが、インパクトファクターという雑誌評価に縛られた編集者は、ネガティブスタディ(エンドポイントを達成できなかった試験)よりもポジティブスタディを選ばざるを得ません。そのため世界中の研究者たちはポジティブスタディを発表しようと躍起になり、捏造が起こってしまうのです。この悪しき螺旋を断ち切ることは困難です。これを防ぐために倫理教育を徹底することや、査読システムを改善すること、罰則を設けるといった処置が考案されていますが、医学論文の捏造はおそらく今後も続くでしょう。
論文を書く際に、恣意的であることは往々にしてあります。たとえば患者が申告する症状やQOLの評価項目を、何とか良い方向に持っていくため、話術で「少しはよくなった」と言わせること。これは厳密には捏造とは違い、非常に恣意的である行為と言えます。また、論文中で強調したいポイントを大々的に書き、あまり突っ込まれたくない部分はあまり書かないという手法も恣意的といえば恣意的です。どこからが科学者として不正にあたるのかは難しいところで、こういった恣意的であるグレーゾーンは広く存在します。
●論文捏造に防止策はあるのか?
少しでも医学論文の捏造を減らしたいならば、捏造をしてまで医学論文を書かなければならないという環境をなくすことだと思います。それには人の出処進退や研究費を決定する評価者がアセスメントクライテリアを変えていくことが肝要になります。あるいは現在おこなわれているように罰則規定をより重いものに変える方法もありますが、前述のようにどこからが不正でどこからが正当なのかグレーゾーンの事例も多く、限られた人件費で綿密な調査を行うことは非常に難しいと思います。他にも、Nature Medicineから面白いアイディアも提唱されています。研究者の人生の中で発表できる論文を合計20に制限してしまえば、必然的に論文の質は上がるだろうという考え方です。研究者から反発の出そうな方法ですが、目の付け所は非常に良いと思います。
What would you do if you could publish only 20 papers throughout your career? Nature Medicine 13;1121:2007.
私も昨年CHESTに投稿した論文がレビュアーに回ることなく数日であっさりリジェクトされましたが、もっとインパクトのある結果ならよかったのかも・・・と頭をよぎることもありました。この成果が自分の職業的立ち位置を大きく左右するようなことであれば、私ももしかするとグレーゾーンに足を突っ込む可能性があったのではないかと思わずにいられません。
世紀の大発見をした科学者であったヘンドリック・シェーンの論文捏造について詳しく書いた本があります。参考にどうぞ。
by otowelt
| 2014-03-16 10:47
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