Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
2013年 05月 02日

Franz Ziehlは1857年4月にドイツのヴィスマールに市役所職員の息子として生まれました。彼はハイデルベルグ大学で医学を学び、24歳(1881年)のときに同大学を卒業しました。医師免許を取得したあと、彼は1887年までクリニックの内科で研鑽を積みました。その後、彼の父親が逝去したため、経済的理由からリューベックへ移り住んだと言われています。彼は神経内科学に精通しており、リューベックの地でも神経内科医として働いていたそうです。その一方で細菌学にも非常に明るかったそうです。
1882年3月24日に当時有名な細菌学者であったRobert Kochによって結核菌が発見され、世界中の学者の間で話題になりました。Ziehlをはじめ、Ehrlich、Neelsenなどの多くの研究者にとって染色法の確立が目下の課題であり、互いに競い合うように、また互いに協力し合って染色法の確立を研究しました。
Ziehlは最も早く結核菌に対する石炭酸フクシン染色の方法を提示しました。入手が難しいアニリンに変わって、石炭酸フクシンを用いる方法は画期的でした。
Ziehl, F.: Zur Färbung des Tuberkelbacillus. Dt. Med. Wschr. 1882; 8: 451.
このZiehlの染色は、翌年Friedrich Neelsenによって硫酸による脱色過程とメチレンブルーによる対比染色を追加改良されました。
その後、アメリカで「Ziehl-Neelsen染色」として紹介されたため、この名前が世界中に知られるようになりました。抗酸菌が石炭酸フクシンによりって赤く染まり、 背景をメチレンブルーで対染色を行なうことによって、コントラストがしっかりとした染色法は一躍有名になりました。しかしながら、これらの染色の成功は、Koch、Ehrlich、Rindfleisch、Ziehl、Neelsenの誰が欠けてもなしえなかった偉業であることから、染色名をZiehlとNeelsenのみに限定するのはおかしいのではないかという意見もあります。Koch-Ehrlich-Rindfleisch-Ziehl-Neelsen染色にすべきだという見解もあります。
1926年4月、Ziehlはリューベックの地で逝去しました。彼の偉業は、現在も抗酸菌染色にその名を残しています。
<音楽と医学>
・モーツァルトの死因は毒殺だったのか?
・ラフマニノフはMarfan症候群ではなかったのかもしれない
・ショパンの死因は結核ではなかったかもしれない
・ベートーヴェンの難聴と肝硬変の原因はワインの飲みすぎによる鉛中毒
・ブラームスは外科医ビルロートの親友だった
<偉人たち>
・Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
・Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
・Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave
・Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast
・Clara細胞の発見者:Max Clara
・サコマノ法の考案者:Geno Saccomanno
・Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson
・Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover
・Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram
by otowelt
| 2013-05-02 07:16
| コラム:医学と偉人