何となく研修医に伝えたいこと その7:クリアカットになりすぎない
2014年 08月 23日
・研修医時代の私
今からもう何年前になるでしょうか。私が指導医に「アスペルギルス抗原が陽性です!この患者さんアスペルギルスだったんですね!」と鼻息を荒くして報告したときのことでした。その時、指導医から「抗原が陽性だったら、全員アスペルギルス症なのかな?」と言われたことがあります。結果的にその患者さんの喀痰からAspergillus nigerが検出され、総合的に慢性の肺アスペルギルス症と診断されたのですが、私の中でその言葉がずっと残っていました。
私は進学校の出身でもないですし、小論文で医学部に合格したような人間ですから、もともと頭がよくありません。そのため、どうしても多くの医師が体得している「臨床ノウハウ」を知るためには周りの何倍も努力しなければなりません。そのため、研修医に対していざ教えようと思っても詳しく教えることができず、“ぼんやりと”教えることができないのが私の指導医としての欠陥です。そんなポンコツ指導医が、自分なりに“ぼんやりと”意識するようになった検査の解釈について、難しくならないように書いてみたいと思います。内容もポンコツなので、ガッカリしないようにして下さい。
・検査の“異常”は“真の異常”を反映しない
検査のうち、定性検査と呼ばれるものは結果が「陽性」「陰性」で表示されます。一方、数値で表示されるものを定量検査と呼びます。最近は、定量検査とともに定性的な結果が得られるシステムが電子カルテに備わっていますから、異常値はすべて赤色や青色で表示される病院も多いでしょう。定量検査といいながら、実は定性的に解釈してしまっている医師もいるはずです。
肝機能の異常を血液検査で評価する場合、ASTという数値をみることがあります。病院や検査法によって基準値は異なりますが、たとえば正常上限が32 IU/Lとしましょう。ある患者さんのASTが38 IU/Lとわずかに基準値を上回ってしまいました。それをみて「ASTが基準値を超えている!これは薬剤性肝障害かもしれない!」と慌てたところで、それに賛同してくれる人はいません。これはなぜかというと、健常な人でも何かしらの理由でASTが正常上限を超えることがありうることを私たちは知っているからです。また、その異常値が何となく誤差範囲であることを知っているからです。もちろん、ASTがたとえ正常であったとしても薬剤性肝障害の患者さんもいるかもしれませんし、医療に絶対というのは存在しないのは言わずもがなです。
ASTのように極端な例でなくとも、過去の私のように検査に振り回される人は少なからずいます。
「○○が陽性なので、××病です」
「▲▲が少し上昇しているので、□□を投与します」
多くの検査にはカットオフ値や基準値が定められていますが、一部の例外を除いて診断に100%信頼できる検査なんて存在しません。
・クリアカット思想
研修医になりたての頃は、図1.のようにクリアカットに考えすぎてしまう人が少なくありません。まさに若いころの私がこれでした(今でもその傾向はあるかもしれません)。クオンティフェロンが陽性だから結核。CEAが上昇しているから癌。β-Dグルカンが上昇しているから真菌。すなわち、「異常と判断されたらイコール異常」という考え方です。 図1. クリアカット思想(抽象的な表現ですが、あくまでイメージ)
クリアカット思想は、理系らしくて男らしくて個人的には好きなのですが、人の身体はそんな簡単にできていません。翌日採血したら異常値だった検査値が正常に戻ってることもあります。図2.の赤線や緑線のように、基準値上限やカットオフ値を上回っていても慌てなくてもよい検査もあります(繰り返しますが、あくまでイメージです)。 図2.
「取りこぼしを減らしたい」という目的でカットオフ値(緑線のようなケース)を設定した場合、軽度上昇していたところでさほど怖くないことが多いです。それにもかかわらず、先述の「異常と判断されたらイコール異常」理論がいまだ医療界には根強いのは、診断学が発展しすぎたがゆえでしょうか。
私のように専門分野にどっぷり漬かってしまった人間にとっては、少なくとも自分が専門としている領域について、目の前の患者さんの確定診断を目的として検査をしているのか、除外診断を目的として検査しているのか、“ぼんやりと”意識することが重要です。冒頭で述べたとおり、私はもともと頭がさほど良くない人間なので、どうしても感度や特異度を常に意識することができません。そのため、そういった方々は“ぼんやりと”理解しておくことがとても重要なのです。
・おわりに
医療は楽観的であるよりも悲観的であるほうが取りこぼしが少なくなりますので、ちょっとばかり慌てた方が結果的に患者さんにもたらすメリットは多くなるかもしれません。ただそれでも、やはり医師は短絡的であってはならないと思います。
研修医の時代は基準値上限やカットオフ値を超えたら、どの病気がどのくらい考えにくいのか・疑わしいのかという疑問を持つことが重要です。もちろん、その答えを指導医が持っているとは限りませんし、誰にもわからない命題だってあります。私は統計学は苦手とする分野の1つですし、ROCだのカットオフ値だの細かい知識を教えるスキルはゼロです。ただそれでも、全ての検査はそんなクリアカットに判断できるシロモノではない、という最低限のセンスだけは研修医のうちに身につけてほしいな、と思っています。
その結果が本当に正しい異常を反映しているのか、一歩立ち止まって疑うことは忘れないようにしたい。しかし、何もかも疑ってしまうとドクターハウスのようにひねくれた研修医になってしまいますね(そういうひねくれた研修医も好きですが)。
<何となく研修医に伝えたいこと>
・その1:夕方に指示を出すべからず
・その2:病棟ではあまりタメ口は使うべからず
・その3:患者さんの社会背景や退院後の生活を常に考えるべし
・その4:1日2回は患者さんに会いに行くべし
・その5:ポリファーマシーのクセをつけない
・その6:研修医時代は早めに出勤した方がよい
・その7:クリアカットになりすぎない
・その8:「●●も否定できない」は肯定の理由にはならない
今からもう何年前になるでしょうか。私が指導医に「アスペルギルス抗原が陽性です!この患者さんアスペルギルスだったんですね!」と鼻息を荒くして報告したときのことでした。その時、指導医から「抗原が陽性だったら、全員アスペルギルス症なのかな?」と言われたことがあります。結果的にその患者さんの喀痰からAspergillus nigerが検出され、総合的に慢性の肺アスペルギルス症と診断されたのですが、私の中でその言葉がずっと残っていました。
私は進学校の出身でもないですし、小論文で医学部に合格したような人間ですから、もともと頭がよくありません。そのため、どうしても多くの医師が体得している「臨床ノウハウ」を知るためには周りの何倍も努力しなければなりません。そのため、研修医に対していざ教えようと思っても詳しく教えることができず、“ぼんやりと”教えることができないのが私の指導医としての欠陥です。そんなポンコツ指導医が、自分なりに“ぼんやりと”意識するようになった検査の解釈について、難しくならないように書いてみたいと思います。内容もポンコツなので、ガッカリしないようにして下さい。
・検査の“異常”は“真の異常”を反映しない
検査のうち、定性検査と呼ばれるものは結果が「陽性」「陰性」で表示されます。一方、数値で表示されるものを定量検査と呼びます。最近は、定量検査とともに定性的な結果が得られるシステムが電子カルテに備わっていますから、異常値はすべて赤色や青色で表示される病院も多いでしょう。定量検査といいながら、実は定性的に解釈してしまっている医師もいるはずです。
肝機能の異常を血液検査で評価する場合、ASTという数値をみることがあります。病院や検査法によって基準値は異なりますが、たとえば正常上限が32 IU/Lとしましょう。ある患者さんのASTが38 IU/Lとわずかに基準値を上回ってしまいました。それをみて「ASTが基準値を超えている!これは薬剤性肝障害かもしれない!」と慌てたところで、それに賛同してくれる人はいません。これはなぜかというと、健常な人でも何かしらの理由でASTが正常上限を超えることがありうることを私たちは知っているからです。また、その異常値が何となく誤差範囲であることを知っているからです。もちろん、ASTがたとえ正常であったとしても薬剤性肝障害の患者さんもいるかもしれませんし、医療に絶対というのは存在しないのは言わずもがなです。
ASTのように極端な例でなくとも、過去の私のように検査に振り回される人は少なからずいます。
「○○が陽性なので、××病です」
「▲▲が少し上昇しているので、□□を投与します」
多くの検査にはカットオフ値や基準値が定められていますが、一部の例外を除いて診断に100%信頼できる検査なんて存在しません。
・クリアカット思想
研修医になりたての頃は、図1.のようにクリアカットに考えすぎてしまう人が少なくありません。まさに若いころの私がこれでした(今でもその傾向はあるかもしれません)。クオンティフェロンが陽性だから結核。CEAが上昇しているから癌。β-Dグルカンが上昇しているから真菌。すなわち、「異常と判断されたらイコール異常」という考え方です。
クリアカット思想は、理系らしくて男らしくて個人的には好きなのですが、人の身体はそんな簡単にできていません。翌日採血したら異常値だった検査値が正常に戻ってることもあります。図2.の赤線や緑線のように、基準値上限やカットオフ値を上回っていても慌てなくてもよい検査もあります(繰り返しますが、あくまでイメージです)。
「取りこぼしを減らしたい」という目的でカットオフ値(緑線のようなケース)を設定した場合、軽度上昇していたところでさほど怖くないことが多いです。それにもかかわらず、先述の「異常と判断されたらイコール異常」理論がいまだ医療界には根強いのは、診断学が発展しすぎたがゆえでしょうか。
私のように専門分野にどっぷり漬かってしまった人間にとっては、少なくとも自分が専門としている領域について、目の前の患者さんの確定診断を目的として検査をしているのか、除外診断を目的として検査しているのか、“ぼんやりと”意識することが重要です。冒頭で述べたとおり、私はもともと頭がさほど良くない人間なので、どうしても感度や特異度を常に意識することができません。そのため、そういった方々は“ぼんやりと”理解しておくことがとても重要なのです。
・おわりに
医療は楽観的であるよりも悲観的であるほうが取りこぼしが少なくなりますので、ちょっとばかり慌てた方が結果的に患者さんにもたらすメリットは多くなるかもしれません。ただそれでも、やはり医師は短絡的であってはならないと思います。
研修医の時代は基準値上限やカットオフ値を超えたら、どの病気がどのくらい考えにくいのか・疑わしいのかという疑問を持つことが重要です。もちろん、その答えを指導医が持っているとは限りませんし、誰にもわからない命題だってあります。私は統計学は苦手とする分野の1つですし、ROCだのカットオフ値だの細かい知識を教えるスキルはゼロです。ただそれでも、全ての検査はそんなクリアカットに判断できるシロモノではない、という最低限のセンスだけは研修医のうちに身につけてほしいな、と思っています。
その結果が本当に正しい異常を反映しているのか、一歩立ち止まって疑うことは忘れないようにしたい。しかし、何もかも疑ってしまうとドクターハウスのようにひねくれた研修医になってしまいますね(そういうひねくれた研修医も好きですが)。
<何となく研修医に伝えたいこと>
・その1:夕方に指示を出すべからず
・その2:病棟ではあまりタメ口は使うべからず
・その3:患者さんの社会背景や退院後の生活を常に考えるべし
・その4:1日2回は患者さんに会いに行くべし
・その5:ポリファーマシーのクセをつけない
・その6:研修医時代は早めに出勤した方がよい
・その7:クリアカットになりすぎない
・その8:「●●も否定できない」は肯定の理由にはならない
by otowelt
| 2014-08-23 00:42
| コラム:研修医に伝えたいこと