結核の標準治療がさらに短縮化? 4カ月治療レジメンの扉開く
2022年 04月 14日

正岡子規は1902(明治35)年に結核で亡くなるが、そのときの病状は『病牀六尺』という本にまとまっている。この本は、以下の俳句で終わっている。
俳病の 夢みるならんほとゝぎす 拷問などに誰がかけたか
ホトトギスは血を吐くまで鳴き続ける鳥であるということから、肺結核と脊椎カリエスで床に臥せっていた正岡自身をそれに重ねたものと思われる。なお、「子規」もホトトギスという意味であることはよく知られている。
結核治療は、1950年代にイソニアジドが結核菌に効果があると分かった後、ストレプトマイシンやパラアミノサリチル酸を加えることで、70~95%の治癒率が見込めると報告された。しかし、当時の治療は最長2年に及ぶ長いものであった。開発途上国では、治療期間が長期になればなるほど、服薬アドヒアランス不良例や脱落例が多くなることから、治療の短縮化が課題とされた。
(つづきはMedical Tribuneウェブサイトで)
by otowelt
| 2022-04-14 16:53
| 抗酸菌感染症









