2012年 05月 03日 ( 2 )

結節性のreversed halo signは肉芽腫性疾患を示唆する

ついこの間記事にしたばかりのreversed halo signだが、
同じ筆者の論文がCHEST5月号に掲載されていた。
内部に網状影を伴う、"太い"reversed halo signはOPよりも侵襲性真菌感染症を疑わせる

Wegener肉芽腫症という病名がなくなったのは有名な話だが
(多発血管炎性肉芽腫症という病名になった)、
ちゃんとそれを反映させて論文を記載しているのが素晴らしい。

Edson Marchiori, et al.
Reversed Halo Sign
High-Resolution CT Scan Findings in 79 Patients
CHEST May 2012 vol. 141 no. 5 1260-1266


背景:
 このスタディの目的は、HRCTにおいてreversed halo sign(RHS)が
 みられる患者において、その原因による特徴の違いを調べたものである。

方法:
 胸部放射線科医2人によりHRCTにおいてRHSがみられた79人の
 患者を組み込んだ。われわれはその患者において
 形態的特徴、病変部位数、RHSに関連した特徴の存在を調べた。

結果:
 41人の患者が感染症を呈していた
 (paracoccidioidomycosis, TB, zygomycosis, 侵襲性真菌感染症、
 Pneumocystis jiroveci肺炎, histoplasmosis, cryptococcosis)。
 38人は非感染症(COP,肺塞栓、サルコイドーシス、浮腫、
 lepidic predominant adenocarcinoma,
 granulomatosis with polyangiitis [Wegener])。
 RHSの壁は58人においてスムースで(73.4%)、21人は結節性(26.6%)
 であった。病変は40人において多発性であった(50.6%)。

結論:
 結節性の壁あるいはハロー内部に結節がみられるRHSは
 有意に肉芽腫性疾患を示唆するものである。

by otowelt | 2012-05-03 19:47 | びまん性肺疾患

Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram

Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram_e0156318_115985.jpgGram H. C. Ueber ide isolirte Färbung der Schizomyceten in Schnitt- und Trockenpräparaten. Fortschritte der Medicin, 2(6), 185-189 (1884).

上記は、あるデンマークの論文です。これは、Gram医師が1884年に発表したGram染色の世界初の論文です。Gram医師についてほとんど知らなかったので、海外のバイオグラフィーを参考にしてその生涯を記載したいと思います。

 Hans Christian Joachim Gram(1853年9月13日~1938年11月14日)は、法学部教授であったFrederik Terkel Julius Gramのもとに生まれました。

 Gramはコペンハーゲン大学生時代、当初植物学を専攻しましたが、大きなな発見や影響を社会に与えるわけではないという点からあまり情熱が湧かなかったと言っています。むしろ、動物学や医学の方に興味がありました。きわめて真面目な学生であり、当初から休日であろうと顕微鏡をのぞきこむことに没頭していました。そのため非常に出逢いが少なかったといいます。また、顕微鏡好きのせいで、生涯にわたりひどい近視を患うことになりました。

 20歳になり、Japetus Steenstrupのもとで1873年から1874年の2年間、動物学を学ぶスタッフとして教室で勉強しました。1878年に学位を取得し、30歳になる1883年までの間、Municipal Hospitalで内科研修医として研鑽を積みました。彼が医学に興味を持ったのは、赤血球の研究に興味があったためで、病院に勤務しながら血液学の研究を続けました。悪性貧血における大赤血球の研究結果が認められ、その成果として1882年に大学からゴールドメダルが授与されたました。これは29歳という若さの快挙でした。

 医学とともに微生物学に興味があったため、1883年にコペンハーゲン大学微生物学部のSalomonsenの研究に加わることになりました。彼とは生涯に渡りよい関係であったという記述が多く、手紙も多く残されています。Gramは、Salomonsenの紹介でドイツ・ベルリンのFriedländerの研究所に入りました。そこでGramは腎臓の管状円柱をいかにして染色するかということを研究しようと思いつきました。当時の腎臓学はほぼ未開拓であるということと、Friedländerの意向も汲む必要があり、特に微生物学的な目的で円柱染色に没頭したわけではありません。円柱をいかにして染色するかという方法を考えていた矢先に、偶発的に脱色されずに残った細菌をみつけて現在のGram染色を発見するにいたりました。1883年の同研究所のFriedländerが投稿した論文に、世界初のGram染色の記載があります。彼は、このGramの偉業を論文内で絶賛しています。そして、GramはFriedländerが編集をしている雑誌であるFortschritte der MedicinにGram染色について投稿し、1884年に上記冒頭の論文を発表することとなりました。共同研究者であるFriedländerは、Klebsiella pneumoniaeの発見者でもあります。

 その後、Gramは長期休暇をとりヨーロッパを転々としたといいます。休暇ののち、数ヶ月間ストラスブールの薬理学の研究所で仕事をしていますが、仲の良かったFriedländerは1887年肺結核で逝去し、Gramがベルリンを離れてから再会することはなかったといいます。

 コペンハーゲンに戻ったGramは、研究をやめて患者の治療に専念しました。そして1889年にLouise I. C. Lohseと結婚、1891年にはコペンハーゲン大学薬学部教授に任命されました。1892年にRoyal Frederiks Hospitalの内科チーフになりました。Pharmacopoeia Commissionの議長も兼任しており、当時の医学部教育・細菌学において、Gramを知らぬ者はいなかったとまで言わています。47歳の1900年にコペンハーゲン大学医学部教授職に推挙されたものの、彼はこれを辞退しました。
 
 教育主体・現場主義を貫き通したGramは70歳を迎え、1923年に多くの職を辞任、事実上現場から退くこととなりました。85歳になったとき、どういうわけか肺炎の血清療法の論文を1つ書いていますが、これについては謎が多く、経緯がよくわかっていません。1938年11月14日、妻Louiseに見守られ逝去しました。

 現在においてもGram染色は、さまざまな変法を持ちながらも不動の地位を確立しています。



<音楽と医学>
モーツァルトの死因は毒殺だったのか?
ラフマニノフはMarfan症候群ではなかったのかもしれない
ショパンの死因は結核ではなかったかもしれない
ベートーヴェンの難聴と肝硬変の原因はワインの飲みすぎによる鉛中毒
ブラームスは外科医ビルロートの親友だった

<偉人たち>
Ziehl-Neelsen染色の考案者1:Franz Ziehl
Ziehl-Neelsen染色の考案者2:Friedrich Carl Adolf Neelsen
Boerhaave症候群の提唱者:Herman Boerhaave
Pancoast腫瘍の提唱者:Henry Pancoast
Clara細胞の発見者:Max Clara
サコマノ法の考案者:Geno Saccomanno
Mendelson症候群の提唱者:Curtis Lester Mendelson
Hoover徴候の提唱者:Charles Franklin Hoover
Gram染色の発見者:Hans Christian Joachim Gram



by otowelt | 2012-05-03 19:29 | コラム:医学と偉人